日本航空123便墜落事件

過去ログ24 2003/10/25 1:10

♪shiraki
Re:管制センターさん
>確かに話が出来すぎてますよね・・・

そうなんです。前記の通り『乗客が機外に吸い出された可能性がある』とのことで巡視船「おきつ」「まつうら」「しずかぜ」が現場付近の海上を捜索していたようで、それにも拘らず、真っ先に試運転中の護衛艦が破片を見つけるのは、出来すぎのような気がします。

>それに、ワザワザ「横須賀基地」ではなく、明らかに遠い「館山港」に運んだ事…

これについては、ある本によると

12日 18:24 事故発生。
13日 18:10 「まつゆき」が『破片発見』の連絡を海上保安庁に入れる。
13日 18:55 『破片回収』との連絡入る
13日 21:00 浦賀水道を哨戒中の巡視艇「あきづき」に館山湾内で破片を引き渡す。
13日 22:40 「あきづき」横浜港に到着。事故調の検分により事故機の破片と確認される。

となっており、横須賀に行く予定の無かった「まつゆき」が館山湾(『港』ではない)で破片の引渡し→波の穏やかな湾内で行った・・・と考えれば、自然なのかもしれません。(実際にどうかは分かりませんが)
なお、15日に米国NTSBのメンバーらが横浜市金沢区内でこの破片を視察しているようです。

しかし、「まつゆき」疑惑があちこちで出ているにも拘らず、この船が自衛隊未納入の試運転中で、事故に無関係であるならば、なぜ誰一人としてそれについて説明・弁明をせず、沈黙を守ったままなのか・・・疑惑を呼ぶのも当たり前だと思います。
2003/10/25(土)1:10

♪あぶさん
Re:管制センターさん
こんばんは。
ご返答ありがとうございます。
当時のアメリカから来た調査員から圧力隔壁について調べるべきだとの情報が事故調関係者の打診されたようです。何らかの情報操作があったのかもしれません。なぜあのような調査報告書になったのか、今もって多くの疑問が残ります。航空関係者としてこれは特に疑問だなと思うのは、何ですか?
2003/10/24(金)23:40

♪管制センター
Re:りんださん
すいません、自分の僅かな脳ミソでは考えうることでは「地道に署名」ぐらいしか浮かびませんでした。
上げさせたいんですが、遺族からの嘆願でさえも「3無い」を決め込んでるから、そんじゃそこらでは動いてくれないと思います。何とかしたいのですが・・・。
2003/10/24(金)19:04

♪管制センター
Re:shirakiさん
お久しぶりです!
確かに話が出来すぎてますよね・・・。それに、ワザワザ「横須賀基地」ではなく、明らかに遠い「館山港」に運んだ事。怪しい行動をとってますし。
もし、事件であるなら、この艦が関ってる可能性否定できませんよね。
2003/10/24(金)18:59

♪管制センター
Re:あぶさん
遅レス失礼!!
>  私がB社でひっかかっている点は、なぜあのようなアメリカでも超一流の企業が簡単に修理ミスを認めたのかという点です。しかも、当初B社は、修理ミスは関係ないと報道機関に発表していたにもかかわらず。

此処は確かにおかしい点です、アメリカの会社ですから意地でも自分の「非」は認めないんですよね・・・下手したら米国政府を使って民間企業に圧力かけるのがアメリカの会社ですから。
自分達が「そんなことは無い」といったら、裁判で敗訴するまで謝るなんて自分は聞いたこと無いんです。
だから、日本政府以外から「圧力」が掛かったからじゃないかと思えますよね


>  話は変わりますが、JALの組内などは、二度と同じ事故を起こさぬようにと、事故の再調査に向けていろいろな活動をされていますが、同じ航空関係者として、このような活動をどうお考えですか?管制センターさんの周りの皆さんは、この事故をどうお考えなのですか?


これに関しては、自分の所属の会社がバレてしまいますと、ちょっと面倒なことが起きるかもしれないので「ノーコメント」とさせてください。
2003/10/24(金)18:55

♪渦中の人
この人が現役退いたらただの一般人?
北関東ブロックで投票する人は沢山いるだろな〜


群馬県高崎市末広町出身
政治家
民主党→国民民主党→改進党→日本民主党→自由民主党
衆議院議員(比例区選出)
ニックネームは「風見鶏」
若手議員のころのニックネームは「青年将校」
1935(昭和10)年3月 群馬県立高崎中学校4年修了
1928(昭和3)年3月 静岡高等学校文科丙類卒
東京帝國大學に進学
 在学中、高等文官試験行政科合格
1941(昭和16)年3月 東京帝國大學法學部政治學科卒
1941(昭和16)年4月 内務省に入省
海軍主計科短期現役第6期
1941(昭和16)年4月18日 海軍経理学校入校
 8月11日 同校卒
高雄海軍施設部部員
高雄海軍施設部女子挺身隊「静和寮」寮長
1944(昭和19)年 横須賀鎮守府付派遣勤務海軍兵備局三課
終戦時、海軍主計少佐
1945(昭和20)年9月 退役
1945(昭和20)年10月 内務事務官
1946(昭和21)年12月 依願退官
1947(昭和22)年4月 衆議院議員初当選
1954(昭和29)年3月 「原子力予算」を国会に提出 成立
1959(昭和34)年6月18日〜1960(昭和35)年7月19日 科学技術庁長官、原子力委員長(第2次岸信介内閣)
1967(昭和42)年11月25日〜1968(昭和43)年11月30日 運輸大臣(第2次佐藤榮作内閣)
1970(昭和45)年1月14日〜1971(昭和46)年7月1日 防衛庁長官(第3次佐藤榮作内閣)
 航空自衛隊T-2高等練習機に試乗
 自衛隊員へのトイレットペーパー国費支給開始
1970(昭和45)年9月 訪米
 レアード国防長官と会談
1972(昭和47)年7月7日〜1972(昭和47)年12月22日 通産大臣、科学技術庁長官、原子力委員長(第1次田中角榮内閣)
1972(昭和47)年12月22日〜1974(昭和49)年12月9日 通産大臣(第2次田中角榮内閣)
1980(昭和55)年7月17日〜1982(昭和57)年11月27日 国務大臣行政管理庁長官(鈴木善幸内閣)
1982(昭和57)年11月27日〜1987(昭和62)年11月6日 内閣総理大臣
2003/10/23(木)18:13

♪あぶさん
Re:りんださん
再調査は必要だと思います。私にはこの墜落事故が「事故」であったのか「事件」であったのかは確実なところはわかりませんが、多くの方がこの事故(事故報告書)に疑問を抱いているのは確かだと思います。特に、生存者の方の証言などからも、事故調が報告したような、「急減圧」はなかったように思われます。「急減圧」がなければこの事故原因は間違えであるとも思われ、本当は何があり123便は墜落したのか本当の原因が究明されなければ、また同じような事故が起こるような気がしてなりません。遺族の方も改めて事故原因追求のための再調査の嘆願書を提出されるようですし、りんださんの言うように我々には、何ができるのでしょうか?
2003/10/22(水)23:54

♪りんだ
Re:管制センターさん
こんばんは。
そうかもしれませんが、【重い腰】何とか上げさせられませんかね。何か良い方法ないですか?人の命を奪った事件を有耶無耶にするなんて絶対許せない!!!
何か良い方法が、、、、
2003/10/22(水)19:08

♪shiraki
管制センターさんへ

>自分は自衛隊未納入艦「まゆつき」が怪しいと言う説なんかも、天文学的偶然の一致で有りうると思ってます。

自分もこの船については少し疑問に思うところがあります。
自衛隊が怪しいとか米軍が関与して云々…という話には私も根拠がないのでなんともいえませんが、この船に関してはひとつ思っている点があるのです。

それは、この船が海上に落下した123便の尾翼の一部を回収しているのですが、その時間が事故発生からおよそ24時間後です。
そして、その回収した地点というのは、きちんと測ったわけではないのですが、相模湾のど真ん中、だいたい事故発生地点から40kmくらい離れているようです。
どうでしょうか?海流の流れなど、ある程度は事前に考慮して探索できるとは言え、回収まで1日というこの時間が私にはちょっと早く感じるのです。
公務中で123便事故について情報をウォッチしていたのなら分かりますが(現に「R5ドアブロークン」通報を受けて、機外に乗客が投げ出された可能性も…と海上でも一旦は救助体制がしかれたそうです)、まだ未納入の船、引き渡すまでは傷もつけたくないでしょうし、本来の業務でない破片の探索なんてやっていたのでしょうか?乗員皆で海を眺めて…それも事故現場から40kmも離れたところで。
であるとすれば、事故発生地点から40kmも離れたところで24時間後に数メートルの破片を見つける…ちょっと出来過ぎな気もします。
まるで、その事故の時の様子、そして破片の落ちてくるのを見ていたのではないか?なんて思わせるような…そんな素早い回収に思えたのです。

ついこの間、回送中のカーフェリーが台風の大波で浸水、船長が船を放棄したところ行方不明になってしまい、再びその船が見つかるまで実に2週間かかったと言うケースがありました。広い海ではじっと目を凝らしていても海上の浮遊物を見つけるのは簡単ではないような気もします。

ただ単に偶然、発見できただけなのかもしれません。しかし、ちょっと引っかかるのが正直なところです。
2003/10/22(水)1:26

♪あぶさん
管制センターさんへ
 ご回答ありがとうございました。私がB社でひっかかっている点は、なぜあのようなアメリカでも超一流の企業が簡単に修理ミスを認めたのかという点です。しかも、当初B社は、修理ミスは関係ないと報道機関に発表していたにもかかわらず。
 話は変わりますが、JALの組内などは、二度と同じ事故を起こさぬようにと、事故の再調査に向けていろいろな活動をされていますが、同じ航空関係者として、このような活動をどうお考えですか?管制センターさんの周りの皆さんは、この事故をどうお考えなのですか?
2003/10/21(火)23:44

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