日本航空123便墜落事件

過去ログ4 2002/11/30 13:45

♪ねこすけ
人それぞれで聴こえ方が全然違うというのは、
本当に不思議ですね。
私は、「まずい! なんか爆発したぞ」と
聴こえてしまったので、何度聴いてもそれ以外には
聴き取れません(笑)。
2002/11/30(土)13:45

♪らふてぃ
Re: さん
>>>なんか爆発したぞの前に言っている言葉は、「なんだこれ」だと思うのですが。どーでしょうか?
>> 私は「あたったね」に聞こえます。
> 私には・・・
> 「なんだ?」
> 「なんかあったぞ」
> と聞こえますが。
「なんだ」とも、聞こえますね。それと「フラップ」「あげてます」の次ぎが気になりますよね。
2002/11/21(木)20:32

♪らふてぃ
Re:ふさん
>>なんか爆発したぞの前に言っている言葉は、「なんだこれ」だと思うのですが。どーでしょうか?
> 私は「あたったね」に聞こえます。
確かに聞こえなくもないですね。でも、「なんか爆発したぞ」とつなげてみるとなんか変では?
2002/11/21(木)20:27

♪ 
Re:ふさん
>>なんか爆発したぞの前に言っている言葉は、「なんだこれ」だと思うのですが。どーでしょうか?
> 私は「あたったね」に聞こえます。

私には・・・
「なんだ?」
「なんかあったぞ」
と聞こえますが。
2002/11/19(火)5:27

♪山本ing
先日書き込みをしました山本ingです。
その後、自分の通う大学の図書館に1985年の朝日新聞・8月分の縮刷を見つけ、日航ジャンボの記事を隅から隅まで読みました。
墜落の翌日、いかに墜落場所の情報が交錯しているかなどがうかがえました。
8月19日の記事に、私の探していた『谷口さんの手帳』の写真を発見し、おもわずあっと声を出してしまったほどです。活字で拝見したものとは違い、実際の写真を目の当たりにし、私は涙しました。切迫した状況で家族を思う河口さんを思うと本当に涙が出ます。さらに1985年の中央公論11月号に息子さんである津慶さんの手記も見つけ、事故で失われた数々の家庭の傷の深さを感じました。当時5歳だった私も今や大学四年。あらためて家族を大切にしようと思いました。
2002/11/18(月)23:46

♪ふ
Re:らふてぃさん
>なんか爆発したぞの前に言っている言葉は、「なんだこれ」だと思うのですが。どーでしょうか?

私は「あたったね」に聞こえます。
2002/11/17(日)17:06

♪山本ing
はじめまして。書き込みは初めてです。御巣鷹山の墜落事件は私が5歳の時のことでした。小さいながらに恐ろしい事故というイメージを抱いたのを今でも覚えています。先日、私の父が『当時の新聞で河口さんの家族宛ての手紙の実物写真を見た』と教えてくれました。ぜひ私も拝見したいと思いましたが、最寄の図書館にも資料がなく途方にくれております。どなたか情報がございましたらお教えください。
2002/11/17(日)1:54

♪らふてぃ
こんにちは。初めまして。らふてぃです。なんか爆発したぞの前に言っている言葉は、「なんだこれ」だと思うのですが。どーでしょうか?
2002/11/13(水)19:59

♪ダイスケ
こんにちは。
移転なさったとの書き込みをSUZANさんのサイトで見まして、やって参りました。

18:50:50 (CAP)パワーでピッチは コントロールしないとだめ

の箇所を聴いておりまして考えました。

       パワーでピッチは エンジンコントロールしないとだめ

こう聞こえませんか。
 パワーで(推力で)ピッチはコントロールしないとだめ
 ピッチはエンジンコントロールしないとだめ
の二重表現と考えれば意味も通りそうです。
昇降舵が利かないので、パワーアップ→機首上げ&パワーダウン→機首下げしたんですね。

ただそうなると、機長はこの時まで、昇降舵が利かないのを現実のこととして認識出来ていなかったのでしょうか。
副操縦士が、パワーコントロールでいいです、パワーコントロールさせてください、と答えています。
この辺りを捉えて、事故調査委員会が低酸素症の傍証としているのなら、何ともやりきれない気持ちです。
2002/11/5(火)22:02

♪のっち
はじめまして。
東京都在住・技術者(の卵)ののっちと申します。
先日職場で先輩が、この航空機事故で亡くなられた坂本九さんの話をしていた折、以前からこの大惨事がいかなる形で起こってしまったかということに関心があったので、ネット上を検索したところこのHPに辿り着きました。
事故発生から墜落のその瞬間まで、赤裸々に綴られている乗務員の格闘する様子。
胸が詰まる思いでした。
ねこすけさんがこのHPを開設している「意義」に書いておられる通り、このような大惨事を風化させてはいけないという思いが一層強まりました。
というのも、当時小学校1年生だった私は、1985年8月12日事故当日、事故機JA8119に(福岡−羽田便、大阪へ向かう直前まで)乗っていたからです。
折り返し大阪へ向かう、自分たちが乗っていた飛行機が事故を起こし墜落するなんて・・・。
家族で絶句したのをはっきりと覚えています。
―――もしあの事故があと2時間早く起こっていたら・・・おこがましい言い方ですが、改めて自分が今、こうして生きていることに意味を見出さなければならない、と思い直させる時間をこのHPからいただきました。
ありがとうございました。
2002/11/5(火)19:06

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