O部屋

過去ログ96 2005/3/20 15:44


母親【1から3】
(十数年前時点の)私と母親の話です。地元紙にも同じ感じの内容が載っていますが、それは私のです。--俺は、いわゆる母子家庭、一人っ子で、母親と二人で18歳までは京都に住んで、大学に入ってからは東京で一人暮らしている。ちなみに俺と母親とは40歳離れている。小学校の時は「俺の母親だけ何でこんなババアやねん!もっと若かったらなあ。」とか、「なんで俺のところだけ、父親いないねん、こんな貧乏やねん」っとか不満に思っていた。母親と言い合いになれば、「違う家に生まれたかったわ!最低や」とか平気で言っていた。母親には18歳までは反抗しまくりで、よく言い合いをしていたから、東京に来て、のびのびできるとせいせいしていた。上京後2年は、お盆、年末年始ぐらいしか顔をあわせなかったが、仕送りだけは毎月もらっていた。親への甘えを当然のこととして受け止めていた。そんな母親が、俺が20歳の秋、蜘蛛膜下出血で享年60歳で急逝した。ほとんどいない親族だけでひっそりと葬式をあげ、位牌と遺産800万円だけ東京に持ってきた。その位牌も、彼女が家に来るという理由で押し入れに入れ、そのままにしていることも多かった。徐々に、母親のことを考えることも減っていった。いや、わざと忘れるようにしていたのかもしれない。母親が死んでから1年半、俺が21歳の冬、就職活動の際、本籍を東京に移動させる、京都の家を売る、自分の戸籍抄本をとるために京都に帰った。そのとき、受け取った書類を見ていると何か違うと気づいた。――――――All:928―-y 1 of 3 sage 05/03/18 19:57:46ID:UkzR+8vB
2005/3/20 15:44


母親
「養子縁組届がでている・・・」「母親が養親となっている・・・」21歳で初めて養子であることを知った。俺は考えた。考えた。悪い頭で考えた。混乱しながら、京都の家に帰り、1年半放ったらかしにしていた家の整理を行った。呆然としながら、母親と写った写真、母親の遺品を見て、初めて思い出を振り返っていた。これまでは避けていた。あえて避けていた。すると、これまでそんなこと無かったのに、急に、体が震え、涙が出て、嗚咽が止まらなくなった。「○○ちゃん(俺の名)4歳の誕生日」「○○ちゃん 入学式」こんなタイトルのアルバム。母親が撮ってくれていた写真。俺の写真ばっかり・・・丁寧に、コメント入りで、収められている。俺がいないときに見ていたのだろうか。何度も何度も見ていた痕跡があるいたんだアルバム。その中で、俺はなんて幸せで無邪気な顔してんだよう・・・俺は、恥じた。死ぬほど恥じた。今は骨くずのみになってしまった母親。その位牌を粗末に押し入れにしまい放っている今の自分に。忙しい日々で母親のことを忘れかけている自分に。こんなどうしようもないアホ息子のわがままを聞いて、何も言わず、独りで20年育てくれた母の後ろ姿を思い出す度に、母の無償の愛に対して、「ありがとう」の言葉一つ言ってこなかった自分の愚かさ加減に打ちのめされた。――――――All:928―-y 2 of 3 sage 05/03/18 19:58:14ID:UkzR+8vB
2005/3/20 15:43


母親
残してくれた800万円も母親の年収からすれば、どんだけ切りつめて貯めてくれたのか・・・思い出せば、着飾った母親の姿をみたことがない。母親の20年間は俺のために生きた20年と言ってもいい。母親にとって自らの幸せは何だったのか?と考えた。母親も一人の女性。悩み、苦しんだ時もあっただろうに・・そして、そんなとき、この俺は母親に何をしてあげてきたのか・・・何もしてこなかった。。何一つ。「○○ちゃん(俺の名)の顔を見ているだけで、お母さん幸せだわ・・・」今思えば、当時はうざいと聞きとばしていた、母親のこの言葉が唯一の救いだ。俺は、今は22歳。来春から、晴れて社会人になる。母親が大好きだった紫のスイートピーを霊前に飾りながら、俺は思う。今あるのは本当にあんたのおかげです。そして、俺はあんたのたった一人の息子です。照れるが、、あんたが母親で良かった。世界一の母親だよ。立派な男になって、必ずあんたが誇れる男になります。あんたとの20年間、ほんとに幸せでした。ありがとう。――――――All:928―-y 3 of 3 sage 05/03/18 19:59:16ID:UkzR+8vB
2005/3/20 15:42


お袋
漏れのお袋は中卒。 貧乏だったから小学校も、中学校もほとんど行かずに家業の手伝いをしていたようだ。 そして食い扶持減らしのために若くして結婚。 それでも「父さんで良かったよ」っていつも言ってた。 自分に学が無いからって、必死で働いて俺を学校にいかせてくれた。 自分のことには何にもお金を使わなかった。 漏れも就職して、もう中堅社員だってのに 出張の度「何かあると困るから」って封筒に金を入れて無理やり漏れに渡してくれてた。 封筒には「○○え」って書いてあった(○○は漏れの名前) いつも「え」じゃない「へ」だって言っても 「お母さん学がないから…ごめんね」って言ってた。 そんなお袋が癌になった。 もうどうにもならなかった。 隠してたけど気づいていたようだった。 最後まで漏れは親孝行できなかった。 付き添ってやるくらいしか… なのにお袋、最後に 「お母さんの子に生まれてくれてありがとうね」って言った。 母さん。僕のほうこそありがとう。 ――――――All:792―-y コピペ sage 05/03/01 11:10:04ID:JiM0hzma
2005/3/4 13:12

一樹
衝撃の画像
かなり驚きました。
2005/2/28 7:25
HP

9795

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