1 無名の私

宗教って…

何ですか?
2 無名の私
生きる姿勢って何ですか?
3 無名の私
本当の幸せって何ですか?
4 無名の私
慈悲って何ですか?
5 無名さん
その日の気分で男になったり女になったりするのが私の生きる姿勢
6 無名の私
>>5それは宗教に関連しますか?
7 無名さん
私は池田先生と中がいればそれで幸せなの!
8 無名さん
2回目なんだって?ナリで消火作業しても謝罪しない限り火は消えないと思うぞ。
9 無名さん
キンマンコ発祥の地、糸満市で雪が降った模様。ゆうき君の愚行をなげいてるかのようだ。
10 無名の私
邪魔するな


ここは宗教話サイトだ
11 無名さん
イジってなんですか?
12 無名さん
>>11
イジは法華講の名無しくん
ウジは創価学会の卑怯者
13 無名さん
>>10元凶の蛆虫が言うな(怒)
14 無名さん
オーロラさん何処へ行ったの(爆)
15 無名さん
ゆーさん消えたらハゲまで消えた。
16 無名さん
イジって命名の由来はなんですか?
17 無名さん
ゆーさん粘着
18 無名さん
元イジめられっ子だからだよ。
だから性格も歪んでしまったの
創価学会が大好きな人
だけど奥さんが逃げちゃってもう大変
19 無名さん
それマジか
20 無名さん
シュガーゆうき登場。
21 無名さん
>>16>>18-19
ゆーさんのワンマンショーの始まり始まり・・・
22 無名さん
ゆーさんて誰ですか?
23 無名さん
ゆーさんは自分が男か女かわからない精神障害者で仕事もしてない卑怯者の創価学会員だよ。
中村中ってチンポ無し芸能人の追っかけしてるアホでイジが好きでストーカーしてるみたいだよ。なりすましするのが趣味なんだって。頭はハゲてるらしいよ。
24 無名さん
ゆうきとは・・・

ハゲでホモでデブでチョンで学会員www
25 無名さん
イジくんは差別用語を平気で使うんですね
法華講の人って暴言とか罵りがヒドイですね
26 無名さん
>>25
聖教はありなん?w
27 無名さん
>>25どれがイジなん?
俺が差別してあげる
失敗作のゆうきくん
28 無名さん
>>25 イジくん て差別じゃないの?学会員て平気で差別用語使うんですね
創価学会のオカマ部の人って暴言とか罵りとか なりすまし が酷いですね。
29 みんな墓穴掘り?
…?
30 みんな墓穴掘り?
アホ…。
31 みんな墓穴掘り?
氏ね…。
32 ユウキカマ掘り
ゆうきの頭死んでる
33 無名さん
>>28
区別じゃ。
34 無名さん
>>33
低脳乙
35 無名さん
オカマも区別じゃ
36 オカマの鴉
チンポも区別じゃ
37 無名さん
ゆーさんチンポ切ったんでしょ。ナリはよくないよ。
38 無名さん
叩かれた後のゆーさんの手口は、他スレage・くだらない質問で釣る・他人になりすましてレスするなどがあります。そういう予兆の後にゆーさんが現れます。予兆があったら オカマは来るな と言ってあげましょう。
逆にゆーさんを釣りたい場合は 中村中はホモでキモい と書いてあげましょう。
39 無名さん
ゆうさんは性格が大変ひねくれておりますが、中村さんて方も相当悪いとの噂です。
オカマのトラウマでひねくれちゃうのでしょう。こんな処で書き込みしてると精神病が悪化しますから、書き込みは控えてください。はっきしいって、ゆうさんの書き込みも迷惑ですから。
40 おまいら
全員死ね
41 無名さん
>>40オカマを苦に死ね
42 無名さん
43 無名さん
俺は生きて生きて生き抜く
44 無名さん
そしてオカマとして死んでゆく
45 無名さん
ゆーさんてマゾなん?
叩かれても叩かれても懲りずに叩かれにやってくる。
46 無名さん
オカマでデブでハゲでチョンで嫌われ者ウジウジしてる銀ハエ学会員。
47 無名さん
君らは実にうまくやった。だが一つ間違いを犯した。この俺を怒らせたことだ。
48 無名さん
ゆーさんは実に上手くなりすました。だが我々アンチをナメ過ぎたのが敗着だ。
49 無名さん
歌えばゆーさんの怒りがおさまるかな?

カツラ〜や カツラァ〜(モスラ風に)
50 高杉晋作◆QEaW
おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり

さぁ〜楽しもうぜ、糞アンチども(爆)
51 無名さん
ハゲがキレたー
元からか
52 無名さん
>>51
ほれ、もっと楽しめよ禿げ(核爆)
53 無名さん
アホが狂ったようにレスしてんな反論文理解できないか?
創価学会仏と三宝の返答ないけど、創価の間違いでいいよね。
コピペだけだから理解はできねーんだよな
これだからハゲは(-o-;)
54 無名さん
>>53
禿げ集団の一般兵よ。

禿げの圧倒的な不整合を追求されてダンマリか(爆)

一般兵、貴様の負け(核爆)
55 無名さん
アホ。
斬った文をごり押ししてるだけだろ(爆)
呆れて怒る気もしないよ
創価学会仏と三宝は創価の間違いと認めたみたいだな。
達師が文をすり替え?お詫び登山を説明してごらん
56 無名さん
此度(このたび)、普請に取り懸(か)かり候(第53世日盛上人御手紙=慶応元年4月)日盛上人が火災後も大石寺で復興の指揮を執っておられた証拠。

已に普請に取り掛かるべく種々と支度手配いたし候ところ、大難に大難重なり大衆一同より故障出候(いでそうろう)耳(のみ)ならず、霑師は御出府、何とも混雑、将にまた、檀中一同、不信無法の者、殊に不帰依なり。またまた内謁のところ、なかなか難しき一条之有り。拙僧すること為すこと、皆悪しく相なり、是には困り入り候(第53世日盛上人御手紙=慶応元年4月)
「大衆一同より故障」が出て、さらに「檀中一同、不信無法の者、殊に不帰依」という状態により、大石寺復興に支障を来(きた)されていたことがうかがわれる。
・5月7日 大坊を辞して下之坊へ移り、後、下野平井信行寺へ赴く◆日盛師も去月(五月)七日下之坊へ隠居致され、大御隠居英尊師(諸事)御引き受け御再住下され候(第52世日霑上人御手紙=慶応元年6月/)
日盛上人が下之坊へ隠居されたのは「去月(五月)七日」と記されている。
到れば盛師(日盛上人)亦(また)下之坊を脱し去り行衛(ゆくえ)知れず(第52世日霑上人『霑伝』)
第51世日英上人が後事を託されて再住
本山御跡式御引き譲りの義、今本山に両能化もおられ候えば、いずれの仁(ひと)へか、お譲り相成り候様(第53世日盛上人)
後継の御法主については、日盛上人御自ら、日英・日霑両上人に後継の御法主の選定を委ねられている。
日盛師も去月(五月)七日下之坊へ隠居致され、大御隠居英尊師(諸事)御引き受け御再住下され候(第52世日霑上人お手紙)
57 無名さん
<大正14年11月22日>
●おまい等両人よく聞け予は任意に辞職する3月末日までに(日柱上人/『仏教者の戦争責任』)「辞職勧告」をつきつけられた日柱上人は、宗会議長・小笠原慈聞と評議員座長・水谷秀道(後の61世、日隆上人)の2人を大石寺大奥対面所に呼び、「●」と言い放った。「任意に辞職」という文言に注目。
<大正14年11月24日>
・日柱上人、文部大臣・岡田良平に対し次のような「辞職届」を提示。
●野納儀去ル大正十二年八月廿二日以来管長ニ就職罷在候處多病ノ為メ事務所理難致候ニ付辭職致候ニ付此段及御届候也(日柱上人「辞職届」/『仏教者の戦争責任』)
『地涌』第241号によれば、辞表を書いたのは22日。「宗会議長の小笠原慈聞ほか3名が、同日すぐさま、文部省当局に届け出をするために上京。翌々日の24日、届出の手続きを完了した。」(『地涌』第241号)
<大正14年11月25日>
・有元広賀、水谷秀道、小笠原慈聞の3名、文部省に堀慈琳師の「管長事務取扱申請書」を提出。(『仏教者の戦争責任』)
<大正14年11月28日>
・文部省の下村宗教局長、上記3名を同月28日に呼びつけ、翌29日、宗会による不信任決議ならびに辞職勧告について厳訓し、「決議案及勧告書は取消たらばどうか」と指導。(『仏教者の戦争責任』)
<大正14年12月1日>
・有元ら、決議案及び勧告書を取下げ、ふたたび下村宗教局長に面会。(『仏教者の戦争責任』)
<大正14年12月2日>
・文部省、堀慈琳師に対する「管長事務取扱」就任の辞令を発す。(『仏教者の戦争責任』)
※この時点で相承問題は一応決着していた。後の管長選挙では、堀慈琳師(日亨上人)が当選したのであるが、選挙をするまでもなく、日柱上人は、日亨上人を血脈を相承するに相応しい法器と認められていたということであろう。
58 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
一般兵は、往生際が悪い。

『日霑上人伝』には「其の年十二月大衆檀徒等、学頭広道院を大坊へ請待す五十三世日盛上人是なり」と、日盛法主が大衆檀徒等により、法主として選出されたと受けとめられる記述がある。
59 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
宗門では血脈相承を「唯授一人」と言っているが、史実を見れば、僧俗の会議で法主を選んだ場合もあるし、選挙で法主を選出した時期もある。また、焼
死した法主もいれば、相承もせずに失踪した法主もいるのだ。

宗門は信徒が事実を知らないことをいいことに、自分たちに都合の良いことしか、教えない。しかし、そのような子供騙しが、いつまでも通じるはずがない。

一般兵、撃沈(核爆)
60 無名さん
土屋日柱上人はいったんは管長を辞任したものの管長選挙に立候補し、宗内の全僧俗に対して「宣言」を発表
宣言

 日柱の管長辭職は、曩(さき)に評議員宗會議員并に役僧等の陰謀と、其強迫によつて餘儀なくせられたるものであれば元より日柱が眞意より出たものでない。かゝる不合理極まる経路に依て今回の選擧が行はれる事になつた。
斯の如き不合理極まる辭職が原因となりて行はれる選擧に於て、日柱以外の何人が當選されたとしても、日柱は其人に對し、唯授一人の相承を相傳することが絶對に出來得べきものでない事を茲(ここ)に宣言する。

抑も唯授一人の相承は、唯我與我の境界であれば、妄りに他の忖度すべきものでない。故に其授受も亦た日柱が其法器なりと見込みたる人でなければならぬ。聞くが如くんば、日柱が唯授一人の相承を紹繼せるに對し、兎角の蜚語毒言を放つ者ありと。これ蓋(けだ)し爲にせんとての謀計なるべきも、斯の如き者は、師虫の族である。相承正統の紹繼者は、日柱に在り。日柱を除いて他にこれなき事を斷言する。
既に不合理の經路に依て行はるゝ、今回の選擧であれば、これに依て他の何人が當選するとも唯我與我の主意に反するを以て。相承相傳は出來ないのである。乃ち佛敕を重んずる精神に基く故である。斯の如く日柱が相承を護持する所以は、謗徒の爲に、宗体の尊嚴を冒瀆せられ、仏法の血脈を斷絶せらるゝ事を恐るゝゆへである。而かも米國の民主主義や、露國の無政府共産主義の如き事が、我宗門に行はれることになり、それが延ては終に日本國體に及ぼす禍根となるを悲む所以である。

日柱は宗體を顚覆せらるゝ事を痛嘆する者である。既にこれを憂慮せる清淨の信徒は、奮起して正義を唱へ、相承紹繼の正統を、正統の正位に復すべく熟誠活動して居るのである。苟(いやし)くも僧侶として信念茲に及ばざる如きあらば眞に悲むべきである。即ち佛法の興廃は今回の選擧によって定まるのである。願くば選擧に際し其の向背を誤らざらんことを。
佛日を本然の大光明に輝かさんと願はん純正の僧侶並に信徒は、完全として三寶擁護に奉ずるために、正路に精進し、倶に宗体を援助するに勇猛なれ。

南無妙法蓮華経
大正十五年一月廿五日
61 禿げの一般兵に贈ろう
「然して日柱上人隠尊料は(現金三千円之れは『正鏡』にも記載あり)白米七十俵本山より供養すべき内約を大石寺檀徒惣代人の意見として相談せし事、然れども此事は同三月八日御相承の後ち再び改め減額せられた即ち白米廿五俵現金壱千円となりし是れも約束だけで実行はせぬ事に聞及びたり」(筆者注  『異体同心の檄文』一部抜粋、文中『正鏡』とあるのは反日柱上人側の出した文書)
驚くべき事実である。
62 禿げの一般兵に贈ろう
血脈相承を円滑におこない御隠尊するにあたり、「隠尊料」が払われる約束になっていたと暴露しているのだ。しかもそれが相承を支障なくおこなう条件として、相承の前後に話されていたことがわかるのである(爆)
63 無名さん
―僧侶は令法久住、在家は布教と仏法守護―
僧侶は僧侶にしかできない職分があり、在家には在家にしかできない広宣流布への御奉公があるのである。大聖人の仏法は令法久住(りょうぼうくじゅう=主に僧侶による仏法護持)と広宣流布(主に在家の行なう折伏弘宣)の二義が、協調し合いながら進んでいくのであり、このどちらか一方でも欠けてはならない。
このうちの令法久住は、「法を久しく住せしめる」と読み、大聖人の仏法を寸分の違いなく未来へ流れ通わせることであり、日興上人已下御歴代上人に伝わる血脈相承がこれの中心にあたる。この根本を無視して、いくら広宣流布を唱えても、全く無意味である。
●僧の恩をいはば、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪(たきぎ)なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず(『四恩抄』御書268・全集938頁)
僧の役割は仏法を正しく後世に伝えることである。ここでいう「僧」とは、当然"僧俗"の「僧」であり、在家に対する語すなわち出家した人である。

1●涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云、天台大師は毛喜等を相語らい伝教大師は国道弘世等を恃怙む云云。(『曾谷入道殿許御書』全集1038頁〜)

●善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣・弓箭・鉾槊を持して持戒清浄の比丘を守護すべし(『釈迦一代五時継図』全集644頁)
64 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。

蓮祖の怒りを感じろよ(核爆)
65 無名さん
●学会の内部資 料(学会が裁判の際に証拠として提出した"池田大作の行動記録")によれば、池田は昭和45年当時より、五座三座の勤行もまともにしていなかったことが明らかです。
・「十四時二十五分 勤行  十四時三十五分 手紙二通書く」→勤行10分
・「十三時十五分 勤行  十三時二十分 食事 広間 原稿」→勤行5分
・「十一時〇〇分 勤行  十一時〇〇分 離れに行かれる」→勤行0分
・「十四時〇四分 勤行  十四時一〇分 終了 おそば」→勤行6分
(学会が「月刊ペン」裁判の際に証拠として提出した"池田大作の行動記録")
 池田の朝の勤行というのは、ほとんど、5・6分、あるいは0分(おそらく題目三唱のみ)といった、呆れ果てた体(てい)たらくなのです。
 それ故(ゆえ)、かつて、池田大作が総本山大石寺の法要に参詣(さんけい)した折など、わずかな時間の正座で、すぐに足がしびれて立てなくなるのを、多くの僧俗(そうぞく)が目の当たりにしています。
66 禿げ集団の
一般兵、撤退(核爆)
67 無名さん
◆血脈否定こそは、日蓮正宗の根本教義の否定であり、究極の悪業ではないでしょうか。故にこれをいかに糾弾してもしすぎることはないものと考えます。その意味では、正信会の輩が血脈の否定にいかなる口実をかまえようとも、ことの本質は彼らの信心の根本の狂いにある。(平成3年1月1日付文書「『お尋ね』に対する回答」秋谷栄之助)
68 無名さん
>>65
白旗、無条件降伏かよ。
だめだね(爆)
69 未練あるのねぇ〜
昔の信徒の文書でしか正当性を示せない。

自立しろよ(爆)

で、ないと自滅するぞぉ(核爆)
70 無名さん
蓮祖もお怒りとはこのことだ。御書での返答出来ずじまい。撃沈だね

.「弘安2年10月12日」の削除について
 現在、日蓮大聖人御真筆の漫荼羅本尊は、130数幅を数えるが、日蓮大聖人の仏法の根本法体が「弘安2年10月12日」の本門戒壇の大御本尊に限られることは、宗祖以来の伝統法義に照らして明らかである。
 その文証として、第2祖日興上人御自筆の相伝書『日興跡条々事』
 「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(新編1883頁)
 第26世日寛上人『観心本尊抄文段』
 「弘安2年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(御書文段197頁)
などの御文が挙げられる。
 それ故に、日蓮正宗においては『日蓮正宗宗制』第3条に、
 「この法人は、宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安2年の戒壇の本尊を信仰の主体とし」
と定め、『日蓮正宗宗規』第2条には、
 「本宗の伝統は(中略)弘安2年本門戒壇の本尊を建立して宗体を確立し」
と明確に謳っているのである。
 かつて創価学会も、
 「日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安2年10月12日の御本尊にあること間違いなく(中略)これは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である」(折伏経典 218頁)
と言い、池田自身も、
 「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安2年10月12日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」(観心本尊抄の池田会長講義 25頁)
と指導していた。
 しかるに今回、学会は従来の「弘安2年10月12日」の文言を削除した。
 これは日蓮大聖人出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を明確に指標する「弘安2年10月12日」の文言を隠蔽することによって、会員を誑かそうとする思惑以外のなにものでもない。
71 無名さん
>>69また自爆?
昔の信徒の発言てなんですか〜
名誉会長・会長・聖教からの引用ですよ〜
名誉会長は嘘つきなんだね(爆)
コピペだけじゃなく答えたら?答えられる頭があればね(爆)
72 無名さん
日盛上人は、安政6年(1859年)12月1日に本山の学頭職に就かれている。当時は、次期御法主候補者が学頭職に就かれるのが通例であったことからわかるように、日霑上人御自身が次期御法主を日盛上人と決めておかれたのである。
 したがって、『霑伝』の「大衆檀徒等、学頭広道院を大坊に請待す」との記述は、日霑上人が隠居を宣言されたため、当時の大衆檀徒等が、次期御法主と決まっていた日盛上人に、速やかに御登座していただくよう願った、という意味にすぎない。
 ちなみに、『霑伝』の、日霑上人の御登座の際の記述にも、
 「(嘉永6年)六月先師日英上人老を告げ大坊を辞し富士見庵に隠遁し給ふ。之に依て衆檀予を請する事再三、固持に能はず其の七月朔日を以て大坊に入院す歳三十七なり」
とあって、日霑上人も衆檀に請待されて大坊に入られたことが記されている。
73 無名さん
●恵果和尚は大日如来よりは七代になり給ふ。人はかはれども法門はおなじ。譬へば瓶の水を猶瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩捶・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法との瓶は異なれども、所伝の智水は同じ真言なり。(『本尊問答抄』御書1276頁、全集367頁)。

●器は我等が心身を表はす。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申すは、仏の智慧の法水を我等が心に入れぬれば、或は打ち返し、或は耳に聞かじと左右の手を二つの耳に覆い、或は口に唱へじと吐き出だしぬ。譬へば器を覆するが如し。(『秋元御書』御書1447頁、全集1071頁)
衆生の一心を器に譬えられているのである。
日蓮正宗で立てる唯授一人の血脈相承とは、釈尊・天台智者大師の前例に見られるごとく、日蓮大聖人から日興上人に相伝された、一器の水を一器に写瓶するように相伝された仏教の伝統であり、正法を正しく相続する為の化儀なのである。
74 無名さん
国体を否定し又は神宮若は皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布することを目的して結社を組織したる者又は結社の役員其の他指導者たる任務に従事したる者は無期又は4年以上の懲役に処し(治安維持法=昭和16年改正/『牧口常三郎全集』第10巻444頁)
昭和16年といえば、太平洋戦争勃発の年である。<逮捕前の指導>
最近、文部省が軍事訓練を課したるは、近ごろの大できである。……何という、今の非常国家に適切の忠告であろう(牧口常三郎「『光瑞縦横談』と教育・宗教革命」昭和11年/『フォーラム21』H14.3.15)
牧口学会は、太平洋戦争勃発以前より、軍国主義教育の推進に加担していたのである。
(※宮城遥拝・黙祷の後、野島辰次理事「開会の辞」)大東亜戦開始以来の戦果は、法華経の護持国家なればこそであります。昨夜のラヂオ放送の如き余裕下に、今日総会を開くのは感激の極みであります(昭和17年5月17日・創価教育学会第4回総会『大善生活実証録』/『フォーラム21』H14.3.15)
大東亜戦争(太平洋戦争)で赫々たる戦果があがっているのは、日本が法華経の護持の国であればこそであり、勝利の戦果を聞く時に総会を開催することは感激の極みだというのである。宮城遥拝に次いで首脳幹部が大東亜戦争の戦果を賞賛する。ここには侵略戦争に反対したという事実も、軍国主義に抵抗した事実も全く見あたらない。あるのは「侵略戦争」に迎合協力する体制翼賛団体としての創価教育学会の姿だけである。
吾々(われわれ)は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは(中略)お礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。(中略)今上陛下こそ現人神であらせられる(昭和17年11月・第5回総会『大善生活実証録』/『牧口常三郎全集』第10巻362頁)
"感謝のためなら神社に参拝してもよい"これが牧口会長の指導でした。
75 無名さん
天皇が神?金比羅にも寄付する訳だ(爆)
76 無名さん
回答どうぞハゲのオカマちゃん(爆)
77 無名さん
順不同だが大体答えたはずだ。次はオカマちゃんの番だよ〜
天皇が神なんですか?
はよ答えろよハゲ
78 無名さん
チョン・アンヂはもう逃亡WWW
79 無名さん
ハゲオヤジは高齢のため息切れしますた。
80 無名さん
>>71
自爆?
未練があるんだろ。情けねぇ〜ぞぉ。一般兵(爆)

>>74
で、これも正宗の正当性を示すレスか。
自立しろ(爆)
81 大石寺の本当の歴史
「大日蓮」(昭和十七年十月十日付)で、日蓮正宗宗務院は、「壇信徒に伊勢神宮遥拜」を指示する院達を出している。
82 大石寺の本当の歴史
日蓮正宗の管長の立場の人間が、太平洋戦争・真珠湾攻撃に対して、「戦端開始第一日に於いて驚嘆すべき戦果を挙げている。我等は感謝に堪えないでいる。戦争の前途は十分である」(要旨)と戦争を礼賛している
83 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
大麻(伊勢神宮の神札)を祭った翌日に、客殿、書院、六壺を焼却し、時の貫首・鈴木日恭は焼死した事実である。
84 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
昔の恋人の甘い言葉忘れられないか、一般兵さんよ。

悔しいさ満開だよな(爆)
85 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
今度は、どの宗史を赤裸々に奏でてやろうかな。

坊主の手先の一般兵よ、糞ちびるなよ(爆)
86 無名さん
その前に答えたらどうだ?負けを認める?
87 ジョン・マクレー◆QEaW
沈黙している貴様が負けよ。

大麻(伊勢神宮の神札)を祭った翌日に、客殿、書院、六壺を焼却し、時の貫首・鈴木日恭は焼死した事実である。
88 『宗報』(第19号:昭和23年5月号)
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。(以下略)」
89 無名さん
>>87
順番は守ろうね〜
恭師は過去にも出てるんじゃないの?
学会仏と天皇崇拝を事実と認める?認めるなら次の質問答えてあげるよ(爆)
90 無名さん
>>89
最後通告

「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。(以下略)」

チャンスはこれだけだ一般兵の糞野郎。

沈黙すれば貴様の負け(爆)
91 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
日蓮正宗の管長の立場の人間が、太平洋戦争・真珠湾攻撃に対して、「戦端開始第一日に於いて驚嘆すべき戦果を挙げている。我等は感謝に堪えないでいる。戦争の前途は十分である」(要旨)と戦争を礼賛している。

沈黙すれば貴様の負け(爆)
92 無名さん
>>87客殿を焼失し責任を感じての自害。
もちろん相承を済ませてから。人間革命にも同記載あり。
>>88既に宣言を引用し回答済み日本語分かりますか?
93 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
>>89
順番だぁ?このタコ野郎

まだ一つも回答がないね。

「大日蓮」(昭和十七年十月十日付)で、日蓮正宗宗務院は、「壇信徒に伊勢神宮遥拜」を指示する院達を出している。


94 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
>>92
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。(以下略)」

これが自害かよ(爆)

ボケ(核爆)
95 無名さん
順番見てみなアホ
数も二桁になるとわからんかこのホモオヤジ
96 さぁ〜奏でよう正宗のレクレエムを(爆)
人間革命?

昔の恋人か?(爆)

笑わせるな(核爆)
97 第62世鈴木日恭の悲惨な最期
昭和18年6月、創価教育学会の牧口常三郎会長、戸田城外理事長(のち改めて城聖)らは、大石寺大奥対面所で日蓮正宗第62世貫首・鈴木日恭、同第59世貫首・堀日亨立会いの下で、庶務部長・渡辺慈海より、

「『神札』を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうか」(『戸田城聖全集』第1巻所収「創価学会の歴史と確信」より一部抜粋)

 と申し渡された。創価教育学会側は峻拒した。6月28日、牧口会長は改めて登山し、鈴木日恭に対し、

「『神札甘受』は過ちである」

 と戒める。ところが、それに対する宗門の仕打ちは、「登山停止」の処分であった。
98 第62世鈴木日恭の悲惨な最期
7月6日、牧口会長、戸田理事長らが逮捕された。逮捕後、宗門はさらに「信徒除名処分」を下し、我が身の保全を図った。
99 第62世鈴木日恭の悲惨な最期
昭和20年6月17日午後10時30分頃、大石寺大奥対面所北側の廊下を隔てた部屋より出火。紅蓮の炎は大奥対面所並びに管長室にすぐさま燃え移り、さしたる消火活動もできないうちに大書院を焼き、六壺、客殿をなめ尽くした。炎がおさまったのは翌朝午前4時頃だという。


この大石寺の火災により、鈴木日恭は焼死した。所化として当時、現場にいた河辺慈篤に私は、鈴木日恭の死の真相を聞いたことがある。

「日恭上人が亡くなられた時は、どんな様子だったんですか?」


河辺からは思いもよらぬ言葉が発せられた
100 第62世鈴木日恭の悲惨な最期
「ありゃー、2回、焼いたんじゃ」


河辺は、火災がおさまった後、鈴木日恭の姿が見当たらないので、必死になって探し灰燼の中から発見したと話した。河辺によれば、発見された鈴木日恭の遺体は凄惨を極めており、大奥の大釜の中に太った身体がずっぽりとはまり、はらわたが生焼けとなり、上半身黒焦げだったという。河辺の目撃談を私は東京・新橋の第一ホテルで聞いた。河辺はこの時、出火の原因についても言及し、

「ともにいた所化の増田壌允が自分のところに来て、『今、押入れの中で煙草吸ってて、ボヤを出しそうになった』と言ったので、『ちゃんと始末したか』と聞いたら、『小便かけて火は消した』と答えたので安心して寝ていたところ、1時間くらいして火事になった」

と述べた。河辺の分析では、布団の綿についた火は消えにくいので「小便」くらいでは消えなかったのだろう、ということだった。