1 山田洋行

イジは負け組

スロットで借金地獄
女房に捨てられ残ったのは借金のみの種無し男
2 無名さん
バクチ打ちの仏法者なんか聞いたことねーし
ま、法華講は何でもアリだからね
功徳は無いけど
3 コモちゃん
離婚は本当だよ
4 無名さん
名無しくんの常駐サイトだお
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓http ://o.z-z.jp/?gakkai_bokumetu
見っけたぉ
5 無名さん
仲間とかに結婚してるとか言ってたが結婚ゎしてないと思うよ
6 無名さん
掲示板では強気の法華講折伏はできないくせに
7 無名さん
自作自演乙。まだ朝の6時だぜw
8 無名さん
>>4最終投稿日が12/21になってるけど常駐か?
偽2とミクシィどこにいるんだ?ハンネ替えてるんだろう?
撲滅でもハンネ使ってるじゃんw
9 無名さん
そのサイト行ったけど

金 毘 羅 寄 付

が貼り付けてあったよね。それはthroughですか?
10 無名さん
>>9創価負け組決定。
11 無名さん
>>2
チョンはパチンコ業界で儲けてるのに常連さんを非難するの?
チョンの集まり創価学会。
12 無名さん
>>4また自爆かえ
13 無名さん
>>2うちの近所の学会員達は朝からパチンコ屋にならんでますよ。
六日町のパチンコ富士です。破門されて富士山にいけないからって、パチンコ富士ですか?
14 無名さん
その学会員どもはパチンコ富士でありがたや〜と拝んでなかったか?
15 無名さん
まだ早いから2度寝するか
16 無名さん
いいなぁ今日まで仕事だ
17 無名さん
俺も寝るか
18 無名さん
近代の宗門の歴史を紐解くと、宗門の僧侶たちが法主の地位をめぐって醜い争いに明け暮れていたことが分かる。
平成元年六月、五十二世日霑法主の百回忌を記念して、五十年前に出版されて絶版になっていた『日霑上人伝』が再版された。これは自筆の自伝に堀日亨法主が補筆したものである。
その際に日顕は「内容的に赤裸々な形の所もあり、一般の信徒の方に広くお分かちするには多少どうかと思われる」と評している。すなわち、その『日霑上人伝』には、一般の信徒に知られたくない内容があるという意味である。
その内容とは何か?
19 無名さん
日霑法主自筆の自伝を初めて公開したのは、宗門機関誌『布教会報』であるが、明治二十四年五月に発行された第二十一号の連載の第五回目で、前号の内容が大幅に削除されることになった。
ところが、再版された『日霑上人伝』には、その削除された箇所が、そのまま掲載されていた。日顕が一般信徒に知られたくないという内容はこの削除された部分のことであった。
20 無名さん
削除されたのは以下の文である。
爰に一山の大衆事情ありて大に沸騰し挙って盛師に迫る 予聞くにたへず窃に是れを扱へども其の彊ゆべからざるの事情を聞くを以て且く身を遠地に隠し其の平穏を待たんと欲し、其の廿一日徒弟慈含僕藤平を具し窃に山を発し出府す 是十度目。
時于衆徒此れに驚き盛師と和融に至りし旨を以て塔中惣代として久成坊、檀中惣代として井出与五右衛門(狩宿伝右衛門の父)出府し亦タ英盛両師よりも懇請の尊書あるを以て止を得ず其の五月初旬、久成坊等同伴にて帰山す 蓋し此の時に当って盛師は其の先非を覚り謝表を残して下之坊へ隠遁の由し之を聞く」
21 無名さん
ここに書かれているのは、大石寺で起きた火災により、その責任を問われ、時の法主・五十三世日盛が、失踪した事件である。
22 無名さん
「一山の大衆」とは僧侶たちのことであり、「事情」というのは、日盛法主が登座後に起きた、大石寺の火災である。この火事は慶応元年(一八六五年)二月二十八日夜半、大石寺大坊の下男部屋から出火し、客殿・六壺・大坊などが焼失した。
このことで僧侶たちが、五十三世の日盛法主を追及し、前法主・日霑は、僧侶たちが、日盛法主を追及するのを聞くに耐えず、密かに大石寺を下りた。
23 無名さん
ところが、日霑法主が下山したことを知った僧侶たちは驚いて、にわかに、日盛法主と和解した。そして、塔中の代表と檀家の総代が、隠居の日英法主(第五十一世)と日盛法主の書簡を持参して、日霑法主に大石寺に戻るように懇願した。
それを受けて、日霑法主が帰山すると、今度は、日盛法主が失踪したというのである。

この話には続きがある。
24 無名さん
法華初心成仏抄 /建治三年 五十六歳御作

其の上勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、一には在家の俗男俗女なり此の俗男俗女は法華経の行者を憎み罵り打ちはりきり殺し所を追ひ出だし或は上へ讒奏して遠流しなさけなくあだむ者なり、二には出家の人なり此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて法華経の行者を見ては怨み嫉み軽しめ、賎み犬野干よりもわろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり、三には阿練若の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し三衣一鉢を帯して山林の閑かなる所に篭り居て在世の羅漢の如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く大愚癡の者大邪見の者なり総て慈悲なき者外道の法を説くなんど云わん、
25 無名さん
通解】

三類の強敵を挙げる。1つには 在家の俗男俗女なり、この俗男俗女は法華経の行者をにくみねたみののしり(俗衆増上慢)これは、信心をしていると回りの人が悪口をいいます。2つには、出家の人なり、坊さんである。日蓮大聖人は言っています。法華経の行者を怨み、(道門増上慢)坊さんが悪口や嫌がらせをしてきます。3つには、阿練若の僧(坊さん)である。その坊さんは きわめてとうとき顔をして三衣一鉢を持って 山林の静かなところに篭(こも)りています。富士宮にもそいうところがありましたね(笑)在世の羅漢のごとく諸人に貴まれ万人に仰がれて、(僭聖増上慢)法華経の説の如く読み持つ僧を見て憎み妬んで云々、(創価学会でもあり池田先生のこと)その 僭聖増上慢は、こう言って誹謗してくるから注意しなさい。

■三衣一鉢

袈裟・衣・念珠の事です。日蓮正宗には 袈裟・衣・念珠をもって 三衣(さんね)とする(当家三衣抄)<-あまり知られてない
26 無名さん
法華経の行者は金毘羅に寄付しないって(笑)
27 無名さん
>>26
くだらない(爆)
28 無名さん
大正十四年(一九二五年)十一月十八日から、大石寺において宗会が開かれ
た。この宗会の初日に、二十六名の僧侶が秘密裏に日柱法主を追い落とすため
の「誓約書」に署名していた。

 その「誓約書」は、「現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統
治ノ資格ナキモノト認ム、吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期セ
ンカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」との一文から始まり、八項目にわたっ
て日柱法主への批判が書いてある。
29 無名さん
そして、その四番目に「阿部法運ニ対シ強迫ヲ加ヘ僧階降下ヲ強要シ」とあ
る。
 阿部は、この宗会の約四カ月前に日柱法主より処分され、総務の職よりはず
されただけではなく、能化より降格されていた。
30 無名さん
能化の地位を失うということは、管長候補者としての資格を失うことを意味
していた。この阿部の処分は、日蓮宗系の学者であった清水梁山との問答で、
阿部が失態を演じたことが原因であった。
31 無名さん
この「誓約書」を読んで分かる通り、当時は法主を批判するのに、「仏祖三
宝ニ誓テ」いる。すなわち、法主は三宝に含まれていなかったということであ
る。

 日顕らは、盛んに「法主は三宝の一つであり、法主批判は三宝破壊」と叫ん
でいるが、その論法で言えば、誰よりも日顕の父・日開こそ、三宝破壊の者に
なってしまう。

 日顕が、自分たちに都合の良いように、三宝の定義をコロコロ変えるから、
自分だけでなく、父親の首を絞める結果になるのだ(爆)
32 無名さん
 宗会は「誓約書」の筋書き通り、二十日に突如、日柱法主の不信任を決議し
て、辞職を勧告した。同時に日柱法主への嫌がらせも行われ、十八日の夜半、
客殿で勤行中の日柱法主に対して、ピストルのような爆発音をさせて威嚇した
り、客殿に向かって瓦や石を投げつけた僧侶がいた。
33 無名さん
 蓮正寺住職河田がその事実を自供したことが、当時の『朝日新聞・静岡版』
(大正十五年二月二十日付)に書かれている。

 大石寺の脅迫事件 取調大に進行
 日蓮正宗大石寺管長脅迫事件の取調べは大いに進行し大石寺の最高幹部の僧
侶十三名は夫々大宮署に召喚十八日深更まで取調べ 身柄は一時放還されたが
大宮署では有力なる証拠を握つたらしく更に十九日には柚野村蓮正寺住職河田
正平(二六)を召喚取調べたが その結果昨年十一月十八日夜半前管長土屋日
柱師が本殿にて勤行中ピストルやうの爆音をさせたり本殿に向つて瓦石を投げ
つけたことなどを自供したので 共犯関係にある大石寺宗務院加藤慈忍(二
二)をも同日午後引致し 教さ関係について取調べ中で事件は各方面に波及す
るや大石寺問題は遂に破裂訴訟ざたとなるうである。
34 無名さん
コピペしかできねーのかよ。頭の悪いやっちゃな
35 無名さん
コピペの内容は都合悪いか(爆)
36 無名さん
【法華経の行者には三類の強敵が競い起こる】
我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天・善神等の此の国をすてて去り給えるか・かたがた疑はし、而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、経に云く「諸の無智の人あつて・悪口罵詈等し・刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ、「悪世の中の比丘は・邪智にして心諂曲」又云く「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」此等の経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人、常在大衆中・乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等・日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く「数数見擯出」等云云、日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし恐怖悪世中の金言の・あふゆへに但日蓮一人これをよめり、例せば世尊が付法蔵経に記して云く「我が滅後・一百
年に阿育大王という王あるべし」摩耶経に云く「我が滅後・六百年に竜樹菩薩という人・南天竺に出ずべし」大悲経に云く「我が滅後・六十年に末田地という者・地を竜宮につくべし」此れ等皆仏記のごとくなりき、しからずば誰か仏教を信受すべき、而るに仏・恐怖悪世・然後末世・末法滅時・後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定め給う、当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん『開目抄』
37 無名さん
妙法蓮華経勧持品第十三「(中略)仏の滅度の後・恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるをこれ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん、利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮りて好んで我等の過を出ださん、濁世の悪比丘は仏の方便・随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」と云云。
文句の八に云く「初めに一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、故に此の三の中初めは忍ぶ可し次は前に過ぐ第三は最も甚し」と云云。『上行菩薩結要付属口伝』
38 無名さん
【法華経は大聖人が「末法の初の法華経の行者」であること示すために説かれた】
問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」等云云『法華取要抄』

疑つて云く何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、答えて云く法華経に云く「況んや滅度の後をや」又云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」又云く「数数擯出せられん」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「杖木瓦石をもつて之を打擲す」又云く「悪魔・魔民・諸天竜・夜叉・鳩槃荼等其の便りを得ん」等云云、此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣・四衆の面目に引き向えたるに予よりの外には一人も之無し、時を論ずれば末法の初め一定なり、然る間若し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん『顕仏未来記』


では、法華経が大聖人の為に説かれた証拠として「況滅度後」「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」の御文を挙げている。一方、大聖人が「末法の初の法華経の行者」である証拠として「況んや滅度の後をや」及び「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」等の御文を挙げている。要するに法華経は大聖人の為に説かれたのである。何を説かれたかといえば、大聖人が「末法の初の法華経の行者」であることを説かれたのである。
39 無名さん
【三類の強敵は末法の初めに出現する】
勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云『開目抄』

これは法華経の行者が被るとされる難を三類の強敵として示された部分である。このうち「数数擯出」は大聖人以前は勿論、滅後現在に至るまで、大聖人以外には身読された方はいない。このことからも経文に示される三類の強敵による難と、それを被る法華経の行者とは、別して大聖人お一人に該当するのである。

過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し、其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為る可し、一部八巻・二十八品・天竺の御経は一由旬に布くと承わる定めて数品有る可し、今漢土日本の二十八品は略の中の要なり、正宗は之を置く流通に至つて宝塔品の三箇の勅宣は霊山虚空の大衆に被らしむ、勧持品の二万・八万・八十万億等の大菩薩の御誓言は日蓮が浅智には及ばず但し「恐怖悪世中」の経文は末法の始を指すなり『寺泊御書』

「恐怖悪世中」を含む勧持品こそ、末法の法華経の行者が被る難を示された経文である。「『恐怖悪世中』の経文は末法の始を指すなり」とあるように、法華経の行者を迫害する三類の強敵は別して「末法の初め」に出現するのである。
40 無名さん
三類の強敵は別して末法の初めに出現し、法華経の行者・大聖人お一人を迫害する・総じていえば、大聖人の弟子檀那も法華経の行者である。そのために、弟子檀那も三類の強敵が競い起こる場合がある。しかし、常に経文どおり三類の強敵がすべて一時に起こるとは限らない。
だから、ある時代に僭聖増上慢が見当たらないからといって、法華経の行者が存在しない証拠とはならない。
凡(およ)そ法門に於(おい)ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違へば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人(ぎょうにん)の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであつて畢竟御一人の仏に対しては凡夫であります。かへすがへすも此のところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。『日淳上人全集』
41 無名さん
『創価新報』11月21日付・12面にある「矢島本部長andハニーの花の3丁目地区なるほどトーク」なる記事を見て我が目を疑った。それは「創価学会仏」という語の露出である。
 異流義化もここまできたかと思わず失笑してしまったが、冷静に考えてみればなんでもありの創価学会である。このようなことに一々驚いている場合ではない(笑)。
 該当箇所は池田大作の『生死一大事血脈抄』における講義を受けてのものであるが、記事を読み進めていくと、この語の出処は戸田城聖2代会長が"創価学会仏"と言った、ということになっている。記事の内容を見てみよう。
42 無名さん
矢島〉池田先生は、こう語られている。
 「3代の師弟によって示された広宣流布に戦う根本精神が異体同心の組織の中に脈動していくとき、創価学会は、民衆を救済する仏の大生命力を恒久的に持ち続けることになります」
 「大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである。これが、戸田先生の大確信であられた」
〈葉庭〉創価学会という組織そのものが"仏"なのだということですか。
〈矢島〉そうです。これは重要なことなのです
43 無名さん
というのである。笑止千万、牽強付会とはまさにこのことである。
 記事の中で、まず戸田会長の発言とされる話の情報源が「池田」という時点で、すでに疑わしい。はたして、戸田会長の言葉だったのだろうか。自説を補強する上において、自分の言葉では説得力のない池田が、戸田会長の名の下(もと)に作り上げたものではないか、と思ってしまうのは私だけではないであろう。
 百歩譲(ゆず)って、仮に戸田会長がそのような話をしたことがあったとしても、"大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体が仏そのものなのである"とは、戸田会長の時代であれば、唯授一人血脈相承を受けられた御法主上人に連なっている、という大前提のもとでの話である。それを、現在のような大謗法集団と成り下がった創価学会をもって「仏そのもの」とは、不遜(ふそん)きわまりなく、見当違いも甚(はなは)だしい。
 また、どんな状況であろうと、創価学会という組織そのものが仏となることは、金輪際(こんりんざい)あり得ない。あえて深くまで突っ込むことはしないが、組織・教団を「仏」と見てしまう見識が、「仏」という概念を正確に理解していない、知ったかぶりの証拠である。
 大聖人直結を謳(うた)い、総別の二義に迷い、思い込みだけで都合のよい理論構築ができるほど、大聖人の仏法は甘くない。
44 無名さん
歴史には、常に事実があらわれる。その事実を知ることにより、私たちは、
宗門が自分たちの都合に合わせて作っている「迷信」を看破することができる。
45 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
日霑上人伝』には「其の年十二月大衆檀徒等、学頭広道院を大坊へ
請待す 五十三世日盛上人是なり」と、日盛法主が大衆檀徒等により、法主と
して選出されたと受けとめられる記述がある。

 また、同伝には、日盛法主が失踪して、日英法主が再度登座した時のことを、
「盛師の還住歟然なくば英師の御再住あらん事を只管に懇望す 是に於いて衆
檀会議の上、英師御再住の事に決し予を迎ふ」と説明している。
46 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
これは〃日霑法主が、日盛法主が猊座に戻るか、もしくは日英法主が再び登
座するように強く望んだが、衆檀会議で日英法主が再び登座することに決まっ
た〃ということである。ここでも「衆檀会議」すなわち、僧俗会議で次期法主
が決められたことが明記されている。

 また、本来であれば、六月に、日盛法主の「代替り法要」が執り行われる予
定であったが、日盛法主は五月に失踪してしまった。すなわち、日盛法主は、
「代替り法要」も経験せず、また、誰にも相承することなく退座した法主にな
47 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
宗門では血脈相承を「唯授一人」と言っているが、史実を見れば、僧俗の会
議で法主を選んだ場合もあるし、選挙で法主を選出した時期もある。また、焼
死した法主もいれば、相承もせずに失踪した法主もいるのだ。
48 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
宗門は信徒が事実を知らないことをいいことに、自分たちに都合の良いこと
しか、教えない。しかし、そのような子供騙しが、いつまでも通じるはずがな
い。

 私たちは、一人でも多くの方が、正しい判断をできるように、あえて、宗門の
「秘史」を公開している。
49 前から「除歴」を恐れていた日顕
日霑法主と日盛法主の確執は非常に深く、日顕はある僧侶に、「日霑上人は
日盛上人を歴代から除けと怒っていた」と語っていたという。

 日顕にとってこれほど恐ろしい話はない。もし、このような相承の裏面史が
世に出てしまえば、法主の権威が地に堕ちてしまう。何よりも、日霑法主が日
盛法主を「除歴」したがっていたという史実も露になってしまう。

 事実、河辺はそのことを知っていたから、学会が破門された後、日顕につい
て「将来、歴代からはずすしかない」と語ったのである。
50 檀信徒の宗会糾弾が、文部省を動かす
日柱法主を擁護するために結成された「正法擁護会」は、同じく日柱派の東
京の檀信徒たちと協力を始める。そして、新年早々、大正十五年一月十六日午
後一時より、神田和泉橋倶楽部において、「全国檀徒大会」を開催した。彼ら
は、この大会で宗会の横暴を天下に訴えた。

この日蓮正宗の紛争を沈静化させるため、文部省宗教局は、選挙によって管長
候補者を選出することを決定。被選挙権者の資格は権僧正以上とされ、阿部法
運は、僧階を降格されてから一年未満であったため、被選挙権者から除外され
た。

 その結果、被選挙権者は、日柱法主、堀慈琳(後の五十九世日亨法主)、有
元廣賀(品川・妙光寺住職)、水谷秀道(後の六十一世日隆法主)の四名とな
った。
51 日柱法主が〃相承拒否
ここから、事態はさらに深刻化していく。一月二十五日、日柱法主が、突如、
『宣言』なるものを発表。そこには「不合理極まる辞職が原因となりて行はれ
る選挙に於て、日柱以外の何人が当選されたとしても、日柱は其人に対し、唯
授一人の相承を相伝することが絶対に出来得べきものでない事を茲に宣言する」
と、“相承拒否”という驚くべき内容が書いてあった。
52 笑わせるな
坊主の手下よ。
宗史は学べ(爆)
53 前代未聞の警察の介入、文部省による調停
ところが、この開票日に、また事件が起こる。大奥に大宮警察署の警部補が、
数名の制服警官を伴ってあらわれた。

 日柱法主擁護派が、〃日柱法主が辞表を書いたのは脅迫によるものだ〃と、
宗会議員、評議員総計二十一名を告訴したのである。

 その結果、翌十八日より関係者一同は、大宮署において取り調べを受けるこ
とになる。日蓮正宗の宗内抗争は、警察の介入という最悪の事態を迎えてしま
った。
54 前代未聞の警察の介入、文部省による調停
大宮署の取り調べにより、前号で紹介したとおり、日柱法主に嫌がらせを行
った二人の僧侶は、書類送検された。この他、十一名の僧侶が、日柱法主に対
する脅迫の嫌疑をかけられた。その中には、早瀬日如の祖父、早瀬慈雄も含ま
れていた。
55 前代未聞の警察の介入、文部省による調停
『朝日新聞・静岡版』(二月二十六日付)
 「大石寺事件送局 正法派は新管長の不認可を宗務局に運動」
日蓮正宗の本山富士郡上野村大石寺土屋前管長脅迫事件は去る十七日以来大宮
署において取調べを進めて居るが同寺宗務院の加藤慈仁(二二)及び同郡上野
村蓮成寺川田米吉(二八)の両人が脅迫の事実を自白しその証拠もあがつて居
るので二十四日一件書類を送局したが一方正法擁護派の田連(征)、中村、松
本、藤原の四氏は去る二十日文部省に下村宗務局長を訪問し不合理な選挙によ
り管長に当選した堀慈琳師の不認可を陳情し局長も之を諒としたる由送局納書
に乗つた人々は左の如くである。
56 前代未聞の警察の介入、文部省による調停
駿東郡浮島村本廣寺 水谷秀道(五三) 東京南品川妙光寺 有元廣賀(六
〇) 大阪府堺市本俸 寺 小笠原慈聞(五二) 大石寺理境坊 相馬文覚
(三八)同交成坊 下山廉琳(四九) 同寂日坊 中島虜政(五七) 同歓行
坊 西川眞慶(五八) 同百貫坊 阪本要道(四六) 東京向島法道寺 早瀬
慈雄(四八) 日蓮正宗横浜教会 松本諦雄(三六) 駿東郡浮島村蓮楽寺 
太田廣伯(五九)
57 前代未聞の警察の介入、文部省による調停
結局、この最悪の事態を治めたのは、文部省宗教局長による調停であった。
この調停により事態は急変した。

 日柱法主は相承を行うことを表明し、三月八日午前〇時から、本山において
日柱法主から日亨法主への血脈相承の儀が執りおこなわれた。そして、四月の
十四日、十五日に、代替法要が催された。
58 坊主の手下どもよ
これが事実。
目から鱗だろうよ(爆)
59 無名さん
創価自らを破折
訂正記事
本誌56号、16頁、臨終の明暗(6)57世阿部日正上人の御臨終の項で、『それから程近い水口屋旅館において、総本山57世阿部日正上人より、58世土屋日柱上人への御相承が、2日1晩にわたっておごそかに行われた』とありますが、これは編集記事の間違いでした。
事実は、阿部日正上人は御臨終近きにあることを悟られておられましたのですから、『興津の一寓で静かに御療養あそばされておられた。そして大阪から呼び寄せられた本山学頭・土屋慈観師(後の58世土屋日柱上人)は、日正上人の御住居から程近い水口屋旅館に止宿され、そこから阿部日正上人の御住居に通われて、2日1晩にわたって御相承を受けられたのである。』
御相承の大事だけに、慎んでここに訂正し、深く誤りを御詫び申し上げます。(編集部)」(『大白蓮華』第57号)
>みよ、かつての学会は、真相に基づき、明らかに、「在家に相承を託した」「蓮華寺で相承した」等の妄説を打ち破っているではないか。
また、かつては、「御相承の大事だけに、慎んで訂正」までしているのに、いまや、平気でデタラメを書いて本宗の血脈相伝を誹謗する・・・・これが創価学会の手口なのである。
60 池田大作
我が創価学会は新しい仏を制定しました。組織が仏なので、学会員みなさんが仏なのであります。よって創価学会では
オカマゆうき仏なるものも諸天善神に付け加えさせていただきます。
61 無名さん
この日正上人は、7月のはじめ乃至(ないし)6月の終りかも知れませんが、大正12年の夏のはじめに体がお弱くなったために、いちおう興津へ一軒を借りまして、ご養生されておりました。その時に私も7月中頃以後、そこにお付きをしておりまして、よく、その間の事情は知っております。それで、8月11日の夕方に大学頭・日柱上人が、大阪の中弥兵衛という人と牧野梅太郎という人の2人に付き添われて、興津の日正上人のところへ来られました。
 また崎尾正道という人がおりまして、これは日正上人の弟子で、私よりも年は上だけれども、後輩の人でず。この人が非常に日正上人にかわいがられて、奥番なんか長くして、非常に用いられました。そのために、たいへん僭越(せんえつ)になって横暴(おうぼう)を極め、そして崎尾自身が日柱上人を非常に嫌っておった。日柱上人という人は非常に強い方で、悪いことがあると頭からガンガン怒る方でございますから、非常に付き合いにくい。それで崎尾も日柱上人を嫌がった。
 それに反し日開上人は温厚な方で、寂日坊から、常泉寺へ入られた。
 ですけれども、(崎尾は)日開上人にどうしても、日正上人の跡をやっていただきたい。そうすれば自分もきっと幅をきかせられる、と思ったのでしょう。そこで、日開上人を日正上人の跡にしようと、策謀したのでございます。
 ところが、日正上人は日柱上人を大学頭にしておるのだから、それより下の日開上人に法を譲るということはできないと、固い心があった。
62 無名さん
昨夜の本種院の話によっても、『崎尾正道は勝手なことをするからよく注意しろ』と言われたくらいで、非常に気にしておられたのであります。
 たまたま崎尾も興津へ行っておりまして、私も興津へ行って日正上人のお側へついて、お給仕をしておりました。崎尾も来て、何かと、若い我々に対していろんな、今も言ったとおり『日柱上人はだめだから、日開上人がやってくれなくては宗門はだめになる』ということを常に吹きこんだ。それから『師匠の日正上人もその心でいる』ということを言われましたから、私は本気にしておったのです。
 で、たまたま8月11日のタ刻、今言ったとおりに、日柱上人が日正上人に呼ばれて来た。その前に日正上人がもうお体が悪いからというので、本山では非常にいろんな策謀があったのです、崎尾がそのもとですが。
 そのために日正上人は、日柱上人がそれに巻き込まれることを恐れて、大阪へやってしまったのです。大阪の今の牧野梅太郎の家が宿屋をしておりましたから、そこにしばらく避けていろと言って、やられておったのです。
 その日柱上人が呼ばれて、その11日の夕方着きました。そのころの汽車はのろいですから、夕方やっと興津へまいられました。そして夏のことですから、蚊がおりますから、蚊帳(かや)をつって日正上人がおられました。そこへ3人が来ました。(中略)それで、しばらく話をされて、とにかく今夜12時に日柱上人にもう1遍来い、と言って帰しました。
 3人は、興津に大きな宿屋が当時ありまして、何というのか覚えていませんが、その宿屋へ行って泊っておって、夜中の12時に再び来まして、それで今度は日柱上人だけが、蚊帳に入ってゆっくりお話を聞いたのです。それがご相承だったのです。」(『蓮華』S47.6)
63 無名さん
このように、日達上人が事実を記されたことによって、「在家に相承を託した」とか、「日開上人が日柱上人への相承を阻もうと画策した」などと述べる学会の説は、ことごとくウソであり、真実は、日正上人より日柱上人へ直々に口決相承があり、学会のいう「策謀」とは、崎尾正道によるものであったことが明確にされているのである。
 この崎尾正道とは、池田の小説『人間革命』第8巻で、「蓮華寺のS住職」としで描かれており、宗門に敵対して離脱していった人物であるから、学会古参幹部諸氏も、その人となりについてはよく知るところであろう。
 その崎尾正道による策謀の汚名を、言うにこと欠き日開上人に着せるとは何ごとであろうか。
 しかし、右のように真実を見てくれば、学会の底意がどこにあるかがわかる。
 すなわち、「崎尾」という一僧侶の策謀とするより、現御法主日顕上人猊下の御尊父であり、後に第60世御法主となられる日開上人が策謀を企てたことにした方が、日蓮正宗の血脈を誹謗するには都合がよかったのである。
 以上に見てきたように、創価学会の疑難は、時に自らの機関誌さえ無視し、時に大恩ある日達上人の御言葉すらも無視して、都合よく作られたものである。
64 無名さん
ブンブン五月蝿いハエだな〜
蛆から羽化しちまったか?銀ハエに・・・
65 ある学会員のメールから
2007年12月29日 14時38分
件 名 : トピにて・・・

詳しく教えていただき感謝です。

御本尊の件 かしこまりました。

今後、退会に向けて行動を起こして行きます。

私は、堂々と 地区・本部 両方に退会の意志を顕わしたいと思います。

私が宗門に入れば、周りは驚くでしょうが、これは縁になって 多くの学会員が目覚める機会となると思います。

ブロックの三分の一は 今の学会の会合には不参加の状態です。

理由は、学会に不信をもっているから。

私は、ブロックごと折伏するつもりです。

見ていてください!!
66 無名さん
>>58チョン・アンヂ君コピペを連発して満足するのは勝手だがその坊主の手下がいないとこでやって意味あるの?(爆)
本人がいないとこでキャンキャン吠えてないでウジとコモに直接言いにいけよ(笑)
67 無名さん
学会員のハエども拝め〜
┳━━━━━━━┳
┃┌─────┐┃
┃│  キ 創│┃
┃│    価│┃
┃│オ ン 学│┃
┃│カ   会│┃
┃│マ マ 仏│┃
┃│ユ    │┃
┃│ウ ン  │┃
┃│キ    │┃
┃│仏 コ  │┃
┃└─────┘┃
┻━━━━━━━┻
68 無名さん
33バーセントが未活?切実だ〜
69 無名さん
やっぱり中村中はアホやった。
70 法主が相承せずに失踪。僧俗会議で法主を選出
>>59-63
事実にいくら美辞麗句を施してもも事実はかえられない。
全て後づけ。

−事実−
宗門では血脈相承を「唯授一人」と言っているが、史実を見れば、僧俗の会
議で法主を選んだ場合もあるし、選挙で法主を選出した時期もある。また、焼
死した法主もいれば、相承もせずに失踪した法主もいるのだ。

 宗門は信徒が事実を知らないことをいいことに、自分たちに都合の良いこと
しか、教えない。しかし、そのような子供騙しが、いつまでも通じるはずがな
い。

 私たちは、一人でも多くの方が、正しい判断をできるように、あえて、宗門の
「秘史」を公開している。
71 無名さん
はいはい
ごまかし貼り付けてどーすんの?
それが俺を怒らしたとか凄んだ内容?
お前の頭の中のが怖いぞ(核爆)
池田さんは人間革命になんて書いてるんだっけ?嘘つき指導者だからしょーがないな
>>70の書いてる内容って、人間革命を否定してるんだよ(核爆)
風呂で死んだ会長もいればレイプで訴えられた会長もいる。天皇を祀った会長もいれば酒に酔って法主批判した会長もいるし盗聴をした会長もいる。原爆は仏罰と叫ぶ会長もいれば、キンマンコと叫ぶ会長もいる。やりまくった男子部長もいれば、ヤクザと絡んでる都議もいる。


銀ハエという学会員もいればアンヂという学会員もいる。なりすます学会員もいればオカマの学会員もいる…ゴメンこの学会員て全部お前だったよ。
信者は何も知らないつか日本語も知らない。
創価恐ろしい
72 無名さん
オカマ〜
〜ゲハ
73 無名さん
もう少しでハゲ親父は遁走するよ。
74 無名さん
>>70
人間革命?
まぁ〜いいだろう
で、その人間革命でしか正統性を主張できない宗派が日蓮正宗だよ(爆)

昔、信徒だった者のに頼るとね。

笑わせるなよ(爆)
75 楽しもうじゃないの
模刻に関しては、当時、正信会裁判議事録に記載される、藤本総監(当時)の証言。
「この裁判では、日蓮正宗を代表して、藤本氏がこう発言している。「あれは手続きの問題であって、謗法ではなかった」
76 法主を三宝に入れていなかった
 大正十四年(一九二五年)十一月十八日から、大石寺において宗会が開かれ
た。この宗会の初日に、二十六名の僧侶が秘密裏に日柱法主を追い落とすため
の「誓約書」に署名していた。

 その「誓約書」は、「現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統
治ノ資格ナキモノト認ム、吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期セ
ンカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」との一文から始まり、八項目にわたっ
て日柱法主への批判が書いてある。
77 法主を三宝に入れていなかった
この「誓約書」を読んで分かる通り、当時は法主を批判するのに、「仏祖三
宝ニ誓テ」いる。すなわち、法主は三宝に含まれていなかったということであ
る。
78 「11.16」のスピーチの改竄
折伏についての具体的なスピーチで、先生の、
『工夫して折伏する以外ないでしょう。ね。日淳上人が一番よくわかっていますよ。』
の発言が、「お尋ね文書」では、
『工夫して折伏するのがないでしょう。ね。日蓮正宗でいなかったんですよ。』
と改竄。
79 「11.16」のスピーチの改竄
あるいは先生が日達上人を賛嘆する意味で日達上人のメッセージを紹介した、
『私(日達上人)も人類の恒久平和のために、そして世界の信徒の幸福のために、猊下というものは信徒の、
幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。毎日毎夜。大御本尊に御祈念申し上げております』
とのセリフをどう曲解したらそうなるのか、「お尋ね文書」ではこの発言をもとに、
『名誉会長は御法主上人に対して「権力」と決め付けておりますが、創価学会でいう「悪しき権威・権力と戦
う」の「悪しき権威・権力」がなぜ御法主上人に相当するのか、お示しいただきたい』
と御法主上人のことを悪く言ってるように文章を継げ足してまでしてすり替えている。
80 無名さん
何それ?一般人には意味わからないしちっとも痛くも痒くない。
中村中は売名のためにティムポを切った最低な芸能人。
81 無名さん
>>74>>79なに必死になってるん?
人間革命でしか正当性を保てないって太作が書いた本を学会員が否定してるよw
82 無名さん
>>81
学会員だぁ〜 プ)

昔の信徒が恋しいか〜
図星のようだな(爆)

自立しなよ、日蓮正宗さんよ(核爆)
83 無名さん
アホ
吾が日興上人、嫡々写瓶の御弟子なる事分明也。故に末法下種の僧宝と仰ぐ也。爾来、日目・日道代々咸く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也云云第26世日寛上人『三宝抄』
84 笑わせるな
1900年、大石寺とその末寺が日蓮本門宗をはなれ、日蓮宗富士派(のち日蓮正宗と改称)として独立。

日蓮正宗は750年の歴史云々歴代法主が血脈などと主張してもちょいと100年ほどまえは興門流五山で菅長をもちまわり。
つまり法主とは各寺院の責任者にすぎなかった。
それを大聖人と同等とみなし、法主の権限を拡大していったのが、現在の日蓮正宗(爆)
85 法主を三宝に入れていなかった
>>83
日蓮正宗はな
、「現管長日柱上人ハ私見妄断ヲ以テ宗規ヲ乱シ、宗門統
治ノ資格ナキモノト認ム、吾等ハ、速カニ上人ニ隠退ヲ迫リ宗風ノ革新ヲ期セ
ンカ為メ、仏祖三宝ニ誓テ茲ニ盟約ス」
当時は法主を批判するのに、「仏祖三
宝ニ誓テ」いる。すなわち、法主は三宝に含まれていなかった(爆)

日蓮の末流を名乗ることを禁ず(核爆)


86 新聞で「脅迫事件」と報道される
宗会は「誓約書」の筋書き通り、二十日に突如、日柱法主の不信任を決議して、辞職を勧告した。
同時に日柱法主への嫌がらせも行われ、十八日の夜半、客殿で勤行中の日柱法主に対して、ピストルのような爆発音をさせて威嚇したり、客殿に向かって瓦や石を投げつけた僧侶がいた。

蓮正寺住職河田がその事実を自供したことが、当時の『朝日新聞・静岡版』
(大正十五年二月二十日付)に書かれている。
87 無名さん
支離滅裂・無知蒙昧・大狂乱の妄断であろう。そもそも我が日蓮正宗の
信徒は日蓮大聖人が『法華講衆』と戒壇の大御本尊にその名を刻まれ、日興上人は大石寺を起こしてより、富士一跡門徒=略して富士門徒、富士門流、大石寺門流、石山門徒、富士大石寺、これらをたんに『富士』とも称してきたのである。
日蓮宗富士派、日蓮正宗との呼称は明治時代に入り、宗教団体が文部省・教部省等の管轄になってから宗教法人じょうの登録名称として使用するに至ったのである。これを『公称』というのである。このハゲの痴論の如くであれば、牧口の時代は『創価教育学会』であり、戸田が法人登録して正式に宗教法人創価学会となったのは昭和27年、たかだか50年程度の新興宗教ではないか。しかも以前の会則を変更して名実共に一箇の宗教法人となってから、まだ数年の幼児宗教であることを認めるべきであろう。
また、便宜的に当時の教部省の方針で一宗一管長制がひかれ、やむなく勝劣派と合同した時期があったが、合同直後から単立認可の運動を展開しており、国家の管 理下にありながら(管長は天皇の任命による勅任官、一般僧侶は政府の任命による教導職という無給の国家公務員の位)万難を超えて一宗として独立認可されたのである。
88 無名さん
アホだな。既に斬られてるネタを使い回し。
創価学会仏とか訳のわからん仏を作るからおかしくなるんだよアホ。
89 無名さん
チョン創負けっぱなしww
90 無名さん
>>85
>>83の意味わかってないみたいだな。
日蓮仏法を名乗ることを禁ず。
91 無名さん
創価に三宝あるの?御書で答えてみな
92 笑わせるな
>>87
「便宜的」
「やむなく」


権力への迎合という。
93 『宗報』(第19号:昭和23年5月号)掲載
「日本敗戦は正に我が宗門の敗戦であつた。今を去る昭和廿年大客殿大書院六壷の焼失は、我等僧俗の懈怠誘法罪たる事は遺憾ながら諸賢と共に確認せざるを得ないのである。
 敗戰常時を今茲に回顧して見れば、宗祖の御訓戒に悉く背き、國家諫暁の重責を果したとは言へない。
 軍の農耕隊の一團は客殿書院を占領し、我が清淨なる大道場を踏みちらし、殊に焼失の前日悪鬼の住家たる大麻の社殿を書院に祭りこんだ事は、農耕隊錬成團の仕業とは云へ、開山日興上人以来未だ見ざる一大汚点である。
 今茲に述べる迄もなく『謗法を見て呵折し駈遺せずんば是佛法の怨なるべし』の宗祖の御訓戒は僧俗一同の身骨に徹してゐると思ふ『臆病にては叶ふべからず』の御訓戒を、正法護持にも折伏にも無視するやうな事になれば信心の燒失、懈怠謗法となりて客殿書院の大伽藍も亦、一朝の夢として消える事を覺悟しなければならないのである。
94 日柱法主おろしの顛末記事
富士大石寺の法主(管長)の座をめぐる争いは、脱することのできない袋小路に入った。大石寺始まって以来、最悪の事態だ。
 だが解決の日は、意外にも早く来た。
 三月六日午後一時五十三分の富士駅着の列車で、日柱上人、夫人、持僧と正法擁護会の者二名が到着。一行は自動車で大宮町(富士宮市)橋本館へ。
 そこで大石寺檀家総代三名と合流し、打ち合わせを始めた。夜には東京の正法擁護会の者二名が新たに加わった。打ち合わせは、深夜まで続いた。
95 日柱法主おろしの顛末記事
翌三月七日、日柱上人らは二台の自動車に分乗して、大石寺に登山。登山の目的は、日亨上人に相承をおこなうことであった。
 三月七日午前七時より総本山大石寺客殿において相承の式を挙行、午後一時に終了。午後は酒宴となった。三月八日午前零時より一時にかけて、血脈相承が日柱上人と日亨上人のあいだで執りおこなわれた。翌月の四月十四日、十五日には、日亨上人の代替法要が催された。
 これをもって、日蓮正宗の法主の座をめぐる争いは終了した。
96 日柱法主おろしの顛末記事
抗争劇は実にあっけない幕切れとなったのだが、日柱上人側が強硬な態度から、一挙に柔軟な態度に転じた背景には、文部省の下村宗教局長の調停があった。
 調停がおこなわれたのは、二月の終わりか三月の初めと思われる。
 大方の予想に反して、ただ一回の調停で和解が成立したという。
 その場で五カ条の合意を見た。残念ながら、文部省の誰が調停の場に臨んだのかは判然としない。だが、誰が代表で調停の場に出て合意したにしろ、それに基づき両派の睨み合いが解消されたことはたしかだ。
97 日柱法主おろしの顛末記事
ただし五カ条の合意内容は、当時、複数の新聞で報じられている。
 一、宗體の維持に就ては前法主派、法主互いに協力する事
 二、新法主は山中及び宗門を改正する事
 三、宗門の重大事に就て新法主前法主相談する事
 四、新法主は宗門の雑事には容喙せぬこと
 五、新法主は僧俗の信行を増進すること
 この五項目以外にも、日柱上人の「隠尊料」が問題にされた。その内容については、正法擁護会のメンバーである田辺政次郎が、日亨上人登座後の同年九月、『異体同心の檄文』という文書の中で一部明らかにしている。
 田辺は、日蓮正宗側が日柱上人に約した「隠尊料」を履行しないということで、合意内容を暴露したのである。
 その中で田辺は、以下のことを明らかにしている。
98 日柱法主おろしの顛末記事
「然して日柱上人隠尊料は(現金三千円之れは『正鏡』にも記載あり)白米七十俵本山より供養すべき内約を大石寺檀徒惣代人の意見として相談せし事、然れども此事は同三月八日御相承の後ち再び改め減額せられた即ち白米廿五俵現金壱千円となりし是れも約束だけで実行はせぬ事に聞及びたり」(筆者注  『異体同心の檄文』一部抜粋、文中『正鏡』とあるのは反日柱上人側の出した文書)
 驚くべき事実である。
99 日柱法主おろしの顛末記事
血脈相承を円滑におこない御隠尊するにあたり、「隠尊料」が払われる約束になっていたと暴露しているのだ。しかもそれが相承を支障なくおこなう条件として、相承の前後に話されていたことがわかるのである。
100 ジョンマクレー◆QEaW
事実はこうよ(爆)