1 無名さん

題目預金

某サイトで架空の銀行とかって書かれてたから笑っちゃった… ただ 題目をしたら 枠を塗り潰すだけなんですが…会員になぜか強要??だって…アホラシィ 強要される訳がないのだが…
2 無名さん
国民新聞てググると出ます。
3 無名さん
国内最大の宗教紙 中外日報に法主の豪遊と報じられてます。
4 無名さん
法華講と顕正会員のことですか? 傲慢な団体だから 海外信者が創価に改宗してますよ。海外の方は常に勉強してますよねぇ〜
5 名無しくん
台湾創価は壊滅的、正宗は増えてると書いてあるね。
台湾で勲章を池田に渡したために謝罪する事態になったんだって?
6 名無しくん
確かに海外は勉強してるね。創価はフランス・チリ・ベルギー・オーストラリア・アメリカでカルト指定。
7 頭籐元気
増えてるのに下方修正かよ。
どう言うことだ?(爆)

日蓮も幕府から注意人物ってされてたね。
法華経の行者は猶多怨嫉や悪口罵詈が多いんだって、御書に書いてあるね。
日顕宗は全世界で認知度ゼロ。
法華経の行者じゃねぇな。(笑)
布教しろよ。
8 名無しくん
ありゃ〜創価は日蓮大聖人まで悪者にするのかよ(笑)
9 名無しくん
下方修正=減かね?
目標を下げたとしても、減ってるとは書いてない(笑)
創価は一時1000万人とか言ってなかったか?
NHKの調査では半分だろ!
10 名無しくん
創価は犯罪や誹謗中傷する事が法華経の行者なんだ?
だから逮捕者が多いんだ?
法難賞授与者たくさん出るね(笑)
11 名無しくん
日蓮大聖人は進言して法難にあった。創価の場合、事件やら嫌がらせをするから嫌われてる。
勘違いすなや!
12 頭籐元気
>>8
君はやっぱり日蓮が末流じゃぁないね。
猶多怨嫉や悪口罵詈が読めないんだね。
あぁ〜そうか君は日顕が末流だったね。(爆)
法華講は日顕宗の教義を正依とする。
学会は大聖人・日興上人の教義を正依とする。

法華講は法主直結(仏じゃない人に直結)
学会は大聖人直結(仏に直結)


>>9
ガハハハハ!
何で、ここでは想像力を封印するのかなぁ〜
増えてるのに下方修正するバカが何処にいる?(笑)
あ!そうか洗脳されてるんだったね。

>>10
君の所はどうなのよ(笑)
臆面もなくよく言うよ。恥ずかしくないの?
洗脳って怖いよね。

13 頭籐元気
>>11
そうだよね。
猶多怨嫉や悪口罵詈があったんだよね。
学会も提言したら君たちから悪口罵詈があるよね。

で、君たちはどう?
何してるの?
世間は法主が替わっても反応なし。
誰も知らないって(笑)

よ!田舎宗教(笑)
14 頭籐元気
法華講は破門した僭聖憎上慢側 。
学会は破門された法華経の行者側 。

これで決まり!
15 名無しくん
百六箇抄否定ですね(笑)
16 名無しくん
創価激減だなぁ
その事はスルーかね?
17 名無しくん
創価は五老僧だろ?
18 無名さん
>>15
あのねぇ〜僭聖憎上慢側が百六箇抄は関係ないでしよ(笑)

>>16
創価激減?
へぇ〜誰が言ってるの?
法華講は法主に坊主・法華講幹部が証言しているよ。
その裏づけが下方修正。(爆)

>>17
違うね。
法華経の行者
19 名無しくん
特に南無法・南無僧のとこ見たら?日寛上人の御書だよ。

○南無仏
南無本門の肝心・文底秘沈の大法・本地難思・境地冥合・久遠元初自受用報身無作三身・本因妙の教主・末法下種の主師親・大慈大悲南無日蓮大聖人師

○南無法
南無本門寿量品の肝心・文底秘沈の大法・本地難思・境地冥合・久遠元初の自受用報身の当体・事の一念三千・無作本有・南無本門戒壇の大御本尊

○南無僧
南無本門弘通の大導師・末法万年の総貫主・開山・付法・南無日興上人師・伝法・日目上人師・嫡々付法の歴代諸師
20 頭籐元気
>>19
君の所は日顕宗。日寛上人と何の関係があるの?

不思議なことを言う人だよ(笑)

あと激減ると五老僧はデマとして撤回でいいね?
21 頭籐元気
あと、君の所の激減は認めるね。
と、言うか認めないと法主と坊主・法華講に反抗することになるよなぁ(爆)
22 名無しくん
認めません。宗務院に確認済み。
あら?日寛上人は日蓮正宗の法主ですよん。
その日蓮正宗法主の御本尊を使ってるのに、日寛上人否定するの?
つくづくおかしい人だね。日顕宗なんてないし(笑)
23 名無しくん
日寛上人の御本尊は使います、日寛上人の教えは守らない。日寛上人まで裏切るのかな?
24 無名さん
みんなも池田教に入りませんか?
25 無名さん
>>22
成るほど法主に坊主・法華講幹部の証言を否定するんですね?
自界叛逆ですな(笑)
しかし、増えてるのに下方修正ねぇ〜実に不自然

>>22-23
日蓮正宗?
中身は日顕宗だろ。日蓮が末流なら布教をしろよ。
君らのことは世間は誰も知らんよ。
26 名無しくん
百六箇抄といい、日寛上人の御書といい、否定出来ないんですな!
27 名無しくん
日寛上人は正しい?
YES? NO?
28 頭籐元気
>>26
君らが用いることを否定します。
だって君らは関係ないもん(笑)

>>27
YES

法主に坊主・法華講幹部の証言を否定するんですね?
YES? NO?

ハッキリさせようね(爆)

29 名無しくん
質問に答えないのであれば、これから君の質問は全てスルーします。
日寛上人の御書じゃ否定出来ねーよな。
日顕宗は創賊が勝手につけた悪名。日蓮正宗ですから。
これからは勝手に創価公明党の事件を書き込みますね。
30 名無しくん
日寛上人の教義も日顕上人の教義も変わりはありません。
日寛上人が正しいか正しくないかの返事をお待ちしてます。
31 名無しくん
ちいさくイェスとあったのを見落とししました。
では日寛上人の教えを創価は守ってますか?
特に南無僧のところ。

この教えも守ってますか?
5座3座について
26世日寛上人も、
若堪タラン人ハ本山ノ如ク相勤ヘシ爾ズンバ十如自我げ題目ナリトモ5座3座ノ様式守ヘシとあります。
どんなに遠くの信徒や忙しい人も可能な限り5座3座を行い、出来ない場合には方便品の十如是までと寿量品の自我げに略してでも5座3座は守れと仰せられている。化儀については、当流行事抄に「但我富士のみ蓮祖所立の門流なり、故に開山巳来化儀・化法全く蓮師の如し」6-19
相伝に有らざれば知り難し(御書92)とあり、御書の面しか見る事の出来ない不相伝家には知り難き伝承と言える

とあります。
32 無名さん
>>29
はぁ〜???
僕がハッキリと答えたのでシヨックだった(笑)

反論に窮すると洗脳法華講員の常套手段↓
>これからは勝手に創価公明党の事件を書き込みますね。

これだもんね。(爆)


33 名無しくん
で?日寛上人は正しいのなら、教えは守ってますよね?
34 頭籐元気
>>31
はい
現代文で明記してね。
それと、著された当時の宗内状況(背景と大意)

日顕宗には関係ないから無理かなぁ〜(笑)

ヒント:亨師と大日
35 頭籐元気
はい
日顕宗に言われるまでまなく。
YES

で、日顕宗でいいよね?
日蓮とは関係ないよね?
36 名無しくん
はいはい 天拝集説
日寛上人の時に6座だったのでなく、末寺回向のためにしたもの。1座というのは日我の事をさしてます。4座とは本山の御影堂の数により行われたもの。
1523 12世日鎮上人が認められた堂参御経次第にも5座3座が正式な勤行と定めている。
化儀即化法。
君の引用しようとしている文献は初座を省略してる信徒がいるので、初座を戒めたもの。
37 頭籐元気
日顕宗の迷走振りを一つご覧にいれよう。

ご隠居となった日顕は、依然として『本尊の体』を所持しているの?
38 名無しくん
ついでに月水御書に寿量品も読むように書いてありますな。
39 頭籐元気
ここで整理するね。
40 頭籐元気
>>36
そうなんですね。
その時代、時代(生活習慣等)に応じて変化してるのよ。
『その国の仏法は、貴辺にまかせたてまつり候ぞ』

では>>31を現代文で明記してね。
それと、著された当時の宗内状況(背景と大意)


41 頭籐元気
@日顕宗でいいよね?
日蓮とは関係ないよね?

Aご隠居となった日顕は、依然として『本尊の体』を所持しているの?
42 頭籐元気
また、明日な
43 名無しくん
所持してます。
化儀即化法。
勘違いしてますが、回向、御影堂の関係での事で我々は5座3座が正式です。
月水御書の件も無視ですか?
44 名無しくん
天拝集説は詳しく破折してやるよ。
45 無名さん
創価に対して法華講と日顕宗が太刀打ちしても 勝負は見えてるね!
断然!!創価の勝ち!!
歴代の法主が私達創価を守護してくださる!!
46 名無しくん
創価は邪義破折班に負けっぱなし。斎藤教学部長が恥晒してるぞ(笑)
47 名無しくん
◆日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であった
>これは『天拝集説』に引用された以下の御文を見ての主張である。
1●二十九世日東上人三十一世日忠上人印可ノ朝夕勤行次第東天ニ向ヒ奉リ方便寿量唱題
梵天帝釈日月明王四大天王諸天善神御報恩謝徳首題(『天拝集説』)
●天拝の事に付いては、(中略)日有上人も宗旨である化儀の根本であると言はれたやうに、大切な事であるから疎忽に議論を上下すべき事でないので、茲(ここ)に宗祖大聖人已来先聖の文献を引き奉りて、御聖意の在る所を御一同と共に伺ひ奉る事にして、最後に愚生の拝感の意を披瀝して見やふと思ふ、(同)
上記1●の史料を掲載された意図は「天拝の事に付いて」「宗祖大聖人已来先聖の文献を引き奉りて、御聖意の在る所を御一同と共に伺ひ奉る」ためである。あくまでも天拝の意義を拝することが目的であって勤行様式全体について考察するものではない。だから、天拝に関する記述だけを抜き取って引用されたまでのことであり、1●をもって「日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であった」などということはできない。
その証拠に大聖人の御書についても天拝に関するものしか引用されていない。日有上人や日鎮上人、日寛上人の項では勤行全般について引用されているが、これは引用部分自体が短かかったり、天拝部分と他の部分との分離が容易ではなかったためであろう。
常識的に考えても、勤行で本尊供養をせずに諸天供養(それも東天に向かって)だけで済ませるなど、ありえないではないか(爆笑
48 名無しくん
日有上人時代は勤行を1日に3回していたこと、日鎮上人は四座だったこと、日寛上人は六座していたこと、日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であったことを挙げ、結論として「五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべき」
●宗門の勤行式の中で、天拝を初に別座に勤むる事について、近年間々疑惑を懐たく人があるとの事である、富士門流を汲める他の本山内(今の本門宗)にては、既に三十年前に天拝廃止の声あるのみでなく、早や実行して(廃止)いる人もありと聞くが、宗門には勝手に廃止せる人はあるまいと思ふが天拝廃止の考へある人は、願くは愚納に其趣意を示されたい(『天拝集説』)
49 名無しくん
日亨上人は天拝について「勝手に廃止せる人はあるまい」と仰せである。●各方の御帰依の明師に就いて御指南を受けられたい(同)
「伸縮正略は自在」といっても、誰でも勝手に化儀を改変してよい、という意味ではないことは明らか。これを判断される方とは一往は「各方の御帰依の明師」であり、再往は大聖人以来の血脈相承を受けられた御法主上人なのです
●「手続」とは経次又は順序の義なり・仏に通達する道程は必ず師匠に由らざるを得ず・仏の法を受取るには是非とも師範の手を経ざるを得ず、(中略)弟子は師匠を尊敬して奉上すること・三世十万の通軌なれば・釈尊は釈葉仏に宗祖は釈尊に開山は宗祖に寛師は永師に霑師は誠師に師侍し・もたげ給ふ、師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず(中略)三世の諸仏も高祖も開山も三祖も道師も行師も・各々其師範より法水を受けて信心を獲得決定し給ふ
●師弟相対の事、有師丁寧反復是を述べらる。(中略)師弟不用の高慢より生して、師弟相対を無視する事は大いに信行に害あるものと知るべし
◆二品読誦の大体は宗祖開山一準の化儀であるが、三座五座の分拝又は十如是長行の区別等の細目にに至っては、此文の案し定テと云はるるに依るときは有師の考案から成つたものと考えるべき
●五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべきであるが、式文の中にも信念の中にも全体を具備して居るべき事は無論である、縮と略とは欠と不足との意では決してないのである。『天拝集説』
「伸縮正略は自在」とは、学会のように誰でも勝手に五座三座を一座にしてよい、という意味ではない
●有師を中興開山とするに多義あるが、中に化儀の大成即ち宗祖開山時代の自然の至来りに意義を与へ、細点を付したのは全く有師の御苦心である、又此文の当宗宗旨タル勤と云ふは、勤行は化儀の中の第一肝要の行であつて宗門の中の宗旨にも当るものとの意味である。日有上人が「化儀の大成」をされたと仰せである。「考案」といっても、「宗祖開山時代の自然の至来りに意義を与へ、細点を付した」のであって、その根本義はまったく大聖人が御定めになったとおりなのである。
50 名無しくん
●日有上人も宗旨である化儀の根本であると言はれたやうに、大切な事である『天拝集説』
●何れの御文も其れに意義ある事ながら、別して我等の眼には、有師の御説なる筑前阿闍梨の聞書の後項、「日蓮自行の妙法乃至日天日蓮と得意」と云ふ点が、早速に拝天の根本義と感拝せらるゝ化儀には時機に応じて変化する部分とそうでない部分がある。変化すべきでない部分とは化儀の「根本義」である。
●六念の事 念仏念法念僧念戒念施念天なり。 御義口伝に云はく、念仏とは唯我一人の導師なり(三座・大聖人)、念法とは滅後は題目の五字なり(二座)、念僧とは末法にては凡夫僧なり(三座・日興上人以下御歴代上人)、念戒とは是名持戒なり(四座)、念施とは一切衆生に題目を授与するなり(五座)、念天とは諸天昼夜常為法故而衛護之の意なり(初座)。末法当今の行者の上なり。之を思ふべきなり云云『御義口伝』
このうち「念仏」「念法」(本門戒壇の大御本尊)「念僧」は、当時の弟子檀那には、正しい理解が困難であった。しかし、正しい法門は唯授一人の相承によって日興上人に伝えられた。この『御義口伝』もその1つである。大聖人御在世に「五座三座」の御指南がなかったとしても、相伝によって「五座三座」の化儀の基となる御指南は日興上人以下歴代上人に伝えられていたのである。●「義理」「化儀」の簡別は義理は化法なり、大道理なり・化儀は設けられたる信条なり、諸法度なり御開山の廿六箇条又は当化儀条目の如し又は其時々々に師より弟子檀那に訓諭せし不文の信条もあるべし
●聞いて能(よ)く之れを信ぜよ、是れ憶度(おくたく)に非ず。師の曰く「本因初住(ほんにんしょじゅう)の文底に久遠名字の妙法事の一念三千を秘沈し給えり」
「師の曰く」とあるように『寿量品』の長行を読誦することや、その理由は大聖人以来の師弟の相伝に基づくのである。大聖人以来の正統なる師弟の流れからはずれた新興教団・創価学会が、権力や財力を駆使しても得られないのが相伝の内容である。裏返せば、創価学会は相伝がない故に"御書根本""大聖人直結"と主張せざるを得なくなったのである。
51 名無しくん
●但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し(第26世日寛上人『当流行事抄』)
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。
日蓮正宗富士大石寺の勤行の形は、他ならぬ宗祖日蓮大聖人がお立てになり、それを日興上人以来の御歴代が、師弟相対の信心をもってそのまま受け継ぎ、遵守してこられたのである。まさに、「相伝に有らざれば知り難し」【化儀即化法】
●「義理」「化儀」の簡別は義理は化法なり、大道理なり・化儀は設けられたる信条なり、諸法度なり御開山の廿六箇条又は当化儀条目の如し
大聖人の下種仏法においては、化法とは下種独一本門の法体とそれに基づく教義・教学であり、化儀とは下種仏法の執行、表明を意味する。
52 名無しくん
歴代法主が創価を守るわけねーだろ(爆)
創価は4世上人から誹謗中傷してるんだからよ。そんな昔の上人を批判するくれーなら日蓮正宗につかず、日蓮宗に入りゃよかったんだ(笑)
亨師も初座簡略戒めてるのに創価を守るか?(爆)
53 無名さん
そんなに怒らなくても良いじゃん
54 無名さん
宗教家はみんなキモいってことでいいじゃん
55 無名さん
>>54 賛成―!!
56 無名さん
同感
57 無名さん
反対!54こそきもい!!
58 無名さん
>>47-51
毎度、日顕宗の解釈ご苦労様(笑)

事実確認をしましょうね。
日有上人時代は勤行を1日に3回していた事。
認めますか?
YES? NO?

日鎮上人は四座だった事。
認めますか?
YES? NO?

日寛上人は六座していた事。
認めますか?
YES? NO?

日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であった事。
認めますか?
YES? NO?

>>38
書いてない御書もありますな(爆)


59 頭籐元気
>>46
日蓮正宗の神話には日顕の使い番の邪義破折班は音沙汰なしだね。
日如の哲学は負ける喧嘩はしない。(笑)
さすがは袋のカンちゃん(爆)
60 無名さん
かんちゃんは…法道院所属ですかー?まさか!!袋連中の集団創価攻撃?
61 無名さん
日如 日顕 創価の信者の喧嘩討論!!勃発!! 恐ろしい!!(ノ_・。)
62 頭籐元気
名無しくんが未だに回答できない課題集。

@法主に坊主・法華講幹部の証言を否定するんですね?
A日顕宗でいいよね?
日蓮とは関係ないよね?
Bご隠居となった日顕は、依然として『本尊の体』を所持しているの?
C日有上人時代は勤行を1日に3回していた事。
認めますか?
日鎮上人は四座だった事。
認めますか?
日寛上人は六座していた事。
認めますか?
日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であった事。
認めますか?

私の対面討論の経験で言えば法華講は必ず反論に窮すると、罵声の連呼か趣旨とは全く違う質問を連呼します。
さぁ〜名無しくんは如何?
乞うご期待!
63 名無しくん
回答済み。
破折文の意味が分からない?
64 名無しくん
御書及び富要で回答済み。
創価は御書根本なのだから御書で反論してください。
65 たっくん
>>61彼らに近付いちゃダメ!!脳が洗われるよ!
66 すいか
名無しくん、そろそろまたケンショウ炎が…
67 名無しくん
大丈夫。完治してます。
68 頭籐元気
>>63
チャンスを上げたんんですけどねぇ〜
解りました。
@は否定しない。法華講は減っている。
A日顕宗で日蓮とは関係ない。
B全てYES。

で了承したものとミナス。
69 頭籐元気
ふぅ〜都合がいいぜよ。
>>64
朝暮の勤行は但両品に限るなり。 (六巻鈔)
ってのもあるよ。
それにさぁ>>31>若堪タラン人ハ本山ノ如ク相勤ヘシ爾ズンバ十如自我げ題目ナリトモ5座3座ノ様式守ヘシ
は何なんでここで切るんだぁ?都合が悪いからか?
後も明記しょうぜ(笑)。

で、御書で反論ねぇ。
日蓮大聖人の御書には何処にも5座3座の明記はないよ。興師もしかり。

「大日蓮」の「有師聞書注解」と題する論文のなかで、亨師は 「二品読誦の大体は宗祖開山一準の化儀であるが、三座五座の分拝又は十如是長行の区別等の 細目に至っては、此文の案し定テと云はるるに依るときは有師の考案から成つたものと考えるべき」 として、勤行の三座五座形式は有師が「考案」したのものであるとしている。

そして、君も認めているが、それも、各々の時代に応じて>>58の様になっているんだよ。
つまり、『その国の仏法は、貴辺にまかせたてまつり候ぞ』ってことよ。
これが日蓮が末流。
反論あるなら日蓮大聖人の御書で5座3座を記してる箇所を記載してチョ(爆)
70 名無しくん
【学会が廃止した大聖人以来の化儀】
@東天に向かっての読経唱題
●宗門の勤行式の中で、天拝を初に別座に勤むる事について、近年間々疑惑を懐たく人があるとの事である、富士門流を汲める他の本山内(今の本門宗)にては、既に三十年前に天拝廃止の声あるのみでなく、早や実行して(廃止)いる人もありと聞くが、宗門には勝手に廃止せる人はあるまいと思ふが天拝廃止の考へある人は、願くは愚納に其趣意を示されたい
日亨上人は天拝について「勝手に廃止せる人はあるまい」と仰せである。●又某を恋しくおはせん時は日日に日を拝ませ給へ・某は日に一度・天の日に影をうつす者にて候(『新池御書』全集1444頁)
●日蓮も信じ始め候し日より毎日此れ等の勘文を誦し候て仏天に祈誓し候(『祈祷経送状』全集1357頁)
学会では諸天供養を「御本尊に向かって」(『聖教新聞』H16.9.10)することを基本にしている。カッコ付きで「東の方に向かってもよい」(同)などとしている。しかも読経はなく題目三唱のみである。御本尊に向かうという本来ではない化儀を基本とし、東天に向かうという本来行うべき化儀を軽くみている。これは本末転倒である。
個人的には東天に向かう可能性を残しながらも、組織としては東天に向かうことなく勤行を行うのであるから、大聖人以来の化儀に組織として反していることは明白である。
●常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ(『月水御書』全集1201頁)
これは信徒に対する大聖人御自身の御指南である。それに対して御書掲載の『自我偈』『十如是』読誦等は、対告衆独自の修行に過ぎない。
71 *俊◆692T
一言
抑、創価学会に歴代上人や勤行を云々言う資格は無い!
72 名無しくん
あるいは一時的な所作であり「常の御所作」ではない<大聖人以来の化儀>
【化儀と相伝】
●有師を中興開山とするに多義あるが、中に化儀の大成即ち宗祖開山時代の自然の至来りに意義を与へ、細点を付したのは全く有師の御苦心である、又此文の当宗宗旨タル勤と云ふは、勤行は化儀の中の第一肝要の行であつて宗門の中の宗旨にも当るものとの意味である。第9世日有上人は勤行において寿量品長行を御読みになっていた。日亨上人は、その日有上人が「化儀の大成」をされたと仰せである。「大成」といっても、「宗祖開山時代の自然の至来りに意義を与へ、細点を付した」のであって、その根本義はまったく大聖人が御定めになったとおりなのである。
●但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。
日蓮正宗富士大石寺の勤行の形は、他ならぬ宗祖日蓮大聖人がお立てになり、それを日興上人以来の御歴代が、師弟相対の信心をもってそのまま受け継ぎ、遵守してこられたのである。まさに、「相伝に有らざれば知り難し」で、御書の面(おもて)しか見ることのできない不相伝家には、知り難き伝承といえよう。
73 名無しくん
【時機に応じた御指南】・『寿量品』長行の代わりに自我偈でもよしとする時代もあったようであるが、あくまでも長行読誦が基本であり、本山では長行が読誦されてきた。これは、上記存略の意義に通じると思われる
・一部信徒に対しては、唱題だけでもよいという御指南があったが、あくまでも止むを得ない場合の例外的措置であり、基本はあくまでも五座三座であると示されている

・化儀には変化があるが、化儀即化法であることに変化はない。化法は、唯授一人の相伝によって代々の御法主が掌握されているのであるから、化儀を改変するにしても時の御法主がお決めになることである。我々は、御法主上人がお決めになられた化儀に随順するところ、血脈が通うのである。
●五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべきであるが、式文の中にも信念の中にも全体を具備して居るべき事は無論である、縮と略とは欠と不足との意では決してないのである。
74 名無しくん
「伸縮正略は自在」といっても、誰でも勝手に化儀を改変してよい、という意味ではないことは明らか。これを判断される方とは一往は「各方の御帰依の明師」であり、再往は大聖人以来の血脈相承を受けられた御法主上人なのです。
●「手続」とは経次又は順序の義なり・仏に通達する道程は必ず師匠に由らざるを得ず・仏の法を受取るには是非とも師範の手を経ざるを得ず、(中略)弟子は師匠を尊
>敬して奉上すること・三世十万の通軌なれば・釈尊は釈葉仏に宗祖は釈尊に開山は宗祖に寛師は永師に霑師は誠師に師侍し・もたげ給ふ、師は針・弟子は糸の如く・法水相承血脈相伝等悉く師に依つて行はる、師弟の道は神聖ならざるべからず(中略)三世の諸仏も高祖も開山も三祖も道師も行師も・各々其師範より法水を受けて信心を獲得決定し給ふ>
●師弟相対の事、有師丁寧反復是を述べらる。(中略)師弟不用の高慢より生して、師弟相対を無視する事は大いに信行に害あるものと知るべし
"御書根本"というのなら「常の御所作」(『月水御書』全集1201頁)には「方便品の長行と寿量品の長行」(同)を読誦せよ!
東天に向かっての諸天供養を行わないのである。組織として大聖人以来の化儀を破壊したことは明白である。
75 名無しくん
「伸縮正略は自在」とは、学会のように誰でも勝手に五座三座を一座にしてよい、という意味ではない。
【化儀と相伝】
●総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。化儀の本源は大聖人の所作振る舞いだといえる。しかしそれらは、御書に全てが表れているとはいえない。何故なら、御在世当時は宗旨の草創期であり、方便を交えた御指南が多いからである。特に、日蓮本仏義や、大御本尊即末法の要法、唯授一人の血脈などは、ほとんど明示されていないといってよい。しかし、「五座三座」の勤行は、これら大聖人の仏法の根幹部分を前提として決められた化儀なのである。そうであれば、このような勤行様式が大聖人の時代に徹底されていたはずもなく、従って御書に明示されている道理もない。しかし、だからといって、それが大聖人の化儀に適っていないとはいえないのである。
●六念の事 念仏念法念僧念戒念施念天なり。 御義口伝に云はく、念仏とは唯我一人の導師なり(三座・大聖人)、念法とは滅後は題目の五字なり(二座)、念僧とは末法にては凡夫僧なり(三座・日興上人以下御歴代上人)、念戒とは是名持戒なり(四座)、念施とは一切衆生に題目を授与するなり(五座)、念天とは諸天昼夜常為法故而衛護之の意なり(初座)。末法当今の行者の上なり。之を思ふべきなり云云。五座の意義の原点と拝すべき御指南。このうち「念仏」「念法」(本門戒壇の大御本尊)「念僧」は、当時の弟子檀那には、正しい理解が困難であった。しかし、正しい法門は唯授一人の相承によって日興上人に伝えられた。この『御義口伝』もその1つである。大聖人御在世に「五座三座」の御指南がなかったとしても、相伝によって「五座三座」の化儀の基となる御指南は日興上人以下歴代上人に伝えられていたのである。
●「義理」「化儀」の簡別は義理は化法なり、大道理なり・化儀は設けられたる信条なり、諸法度なり御開山の廿六箇条又は当化儀条目の如し又は其時々々に師より弟子檀那に訓諭せし不文の信条もあるべし。
76 名無しくん
●聞いて能(よ)く之れを信ぜよ、是れ憶度(おくたく)に非ず。師の曰く「本因初住(ほんにんしょじゅう)の文底に久遠名字の妙法事の一念三千を秘沈し給えり」「師の曰く」とあるように『寿量品』の長行を読誦することや、その理由は大聖人以来の師弟の相伝に基づくのである。大聖人以来の正統なる師弟の流れからはずれた創価が、権力や財力を駆使しても得られないのが相伝の内容である。裏返せば、創価学会は相伝がない故に"御書根本""大聖人直結"と主張せざるを得なくなったのである。
●但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山已来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し
●宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。日蓮正宗富士大石寺の勤行の形は、他ならぬ宗祖日蓮大聖人がお立てになり、それを日興上人以来の御歴代が、師弟相対の信心をもってそのまま受け継ぎ、遵守して
77 名無しくん
こられたのである。まさに、「相伝に有らざれば知り難し」で、御書の面(おもて)しか見ることのできない不相伝家には、知り難き伝承といえよう。

何を勘違いしている?日蓮大聖人存命中に回向があるわけなかろう。
78 名無しくん
日寛上人が正しいのであれば、何故違背するのだ?日寛上人の6座は末寺の供養のため。
日寛上人はあくまでも5座3座。病気の時にはそのつもりで唱えろとの言葉を悪用してるだけであろう。
79 名無しくん
過去に日顕宗などないと否定したが?
創賊と呼ばせてもらうよ。
1523 12世日鎮上人が認められた堂参御経次第にも5座3座が正式な勤行と定めている。とも書いたが?
80 無名さん
>>69
丁寧に朝暮の勤行は但両品に限るなりと書いてくれて感謝します(笑)
両品とは方便品と寿量品の意味ですが?
81 名無しくん
>>69
丁寧に朝暮の勤行は但両品に限るなりと書いてくれて感謝します(笑)
両品とは方便品と寿量品の意味ですが?
82 名無しくん
日蓮大聖人は月水御書にて方便品と寿量品を読むとの御指南、日寛上人も当流行事抄にて両品読めとの御指南。
創価は日寛上人は正しいと断言。一方で日寛上人の御指南を無視する矛盾。どう説明するか楽しみに待ってます。
83 名無しくん
自爆したみたいだな
ドガァァァァァァァァン
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  γ⌒ ⌒`ヘ
  イ"" ⌒ ヾヾ
 /( ⌒  ヽ )ヽ
(   、 )  ヾ)
..ヾ(    ノ ノ ノ..
:::ヽヽ_| |_ノソ::::
n_[_r-ー"i i〜-ヽ_iLn
iγ 〜ーli|ーヾ ヾFH
H( (  |l|  ) )=T
ロヾ、⌒〜"""⌒〜" ノ"ロ
T: """ー+ーr-〜"" :n
n:    ||‖    :F
ロ=:  ノ从ゝ  :田
FH田:.     .:E日
ДΠロ=HロΠ:::ロロHFFロ
84 無名さん
誰か創価に教義で勝てないとか書き込みしてなかったか?
85 頭籐元気
>>70>>72-76
言ってることに統一性(整合性)がないよ。

@5座3座○・方便品と寿量品×

A5座3座×・方便品と寿量品○

B5座3座×・方便品と寿量品×

C5座3座○・方便品と寿量品○

@〜Cどれが正しい?

御書には5座3座の記述がない事は認めるね。

86 頭籐元気
>>80>両品とは方便品と寿量品の意味ですが?

君たちの解釈はいつからそうなったの?(笑)
87 名無しくん
苦しい言い訳ですな(笑)まだ回答もらってませんが?
88 頭籐元気
何の回答?
>>70>>72-76
にら言ってる事に整合性がない。
結局何が言いたい?明快に(爆)
89 名無しくん
>>85全て回答済み
>>82の回答がまだです。
90 頭籐元気
>>82
『その国の仏法は、貴辺にまかせたてまつり候ぞ』

何回も記載してるぞぉ。

>>89
君はいつも回答済みだけだが何処のレスで回答した。
レス番を要求ス。
91 名無しくん
理解出来ないんだ(笑)
92 頭籐元気
なんだぁ〜
開示できないのか〜
逃げるのかよぉ〜(笑)
93 頭籐元気
周知のとおり勤行には正行と助行がある。正行は言うまでもなく唱題である。御本尊への信を根幹として、己心の仏性を現す修行が唱題であり、自身の生命を練磨して一生成仏を遂げていくための根本の修行となる。
また、広宣流布を実現していくための修行の根幹でもある。これに対して、方便品と寿量品の読誦は助行である。その意義は所破・所用などと言われるが、要するに正行の南無妙法蓮華経の題目を賛嘆するという意義がある。成仏の根源の法である何妙法蓮華経を、方便品・寿量品という仏の最高の言葉によって賛嘆するのである。 御本尊を信じ、南無妙法蓮華経の根本を修行し、賛嘆して、生命を練磨していくのが勤行の本義である。そして、個人の一生成仏と広宣流布の実現が勤行の目的である。
中でも自我偈は、寿量品の要約であり、法華経二十八品の魂であり、仏法の真髄である。大聖人は自我偈に説かれている永遠の仏の生命を御自身の生命に悟り、南無妙法蓮華経として顕された。その意味で、自我偈こそ南無妙法蓮華経を最も深く説明し、大いに賛嘆している経文である。
このような自我偈には、題目の功徳を助け顕す利があるので、 大聖人も諸天への供養や諫暁、故人への回向などをされる時は、「自我偈少々」等と言われて自我偈を読誦し、ただし十八円満抄には「正行には唯南無妙法蓮華経」と仰せのように、功徳の根本は題目にあることは言うまでもない。
したがって、「方便品・自我偈の読誦と唱題」には、大聖人の仏法における勤行の本義と目的が欠けるところなく具わっているのである。
94 頭籐元気
再度、問う。
>>80>両品とは方便品と寿量品の意味ですが?

君たちの解釈はいつからそうなったの?(笑)
95 名無しくん
そもそも、勤行を含めた本宗の化儀は、御歴代上人の権能に収まる事柄であり、時の御法主上人は、正法正義に照らし、時に応じて、それを裁定なさるのである。
日寛上人は、方便品を読誦する意義は、その経文の中に「唯仏与仏乃能究尽」の文と、一念三千の出処となる「十如是」が含まれているところにある、と示され、「十如の文は既(すで)に是れ一念三千の出処なり。故に但之れを誦すれば其の義則ち足んぬ」(六巻抄169頁)と仰せになっている。一方、寿量品には、「一念三千の法門は但法華経本門寿量品の文の底にしづめたり」と仰せのごとく、事の一念三千・三大秘法の妙法蓮と仰せられ、「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡復倍上数」の本因初住の文底に秘沈されている、と明かされている。しかして、この「我本行菩薩道」の本因初住の文は、自我偈ではなく寿量品の長行中にあるのである。となれば、事の一念三千の御当体たる大御本尊を賛嘆(さんたん)申し上げるのに、方便品の十如是までと寿量品の長行は、法義上、必要最低限な助行であること、明々白々ではないか。
すなわち、現時における日蓮正宗の五座三座の勤行は、制定当時、将来にわたる様々な状況をおもんぱかった上で、勤行としての必要な要件を満たす形で定められたものであることが理解できよう。ところが創価学会は、各国SGIの要請≠ニやらを理由に、五座三座を廃止してしまったばかりか、事の一念三千の御本尊を秘沈している寿量品の長行まで、削り捨ててしまったのである。
日蓮大聖人は、「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。(中略)されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり。唯相構へ相構へて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし。心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし」
96 お菓子部長
これって、何かの教科書に載ってる文章を丸写ししただけでしょ
97 お菓子部長
自分の言葉で解りやすく、説明してください知識の自慢話じゃないんだから…
98 頭籐元気
>>95
実に稚拙な誤魔化し。

宗門の勤行式(昭和16年8月22日付 院達2167)を入手しろよ。

恥ずかしくて>>95は書けないよ。
99 頭籐元気
>>98
現代文を駆使してかいたんですがね・・・・
100 頭籐元気
>>95>御歴代上人の権能に収まる事柄。
これが日顕宗なのよ。
つまり法主は大聖人を超えるってやつよね。
法主本仏なのよ。

日寛上人は勤行の功徳について、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり(観心本尊抄文段)」と、言ってるよ。

だから寛師は正しいの言ったのよ。