13 名無しくん
次に、塔婆供養をすると、未来のできごとを予知でき、事前に悩みや苦しみが除けるとの件について述べることとする。「未来を予知でき、悩みが除ける」というと、まるで新興宗教のキャッチフレーズのように聞こえるが、これとても、決して仏法法義から、かけ離れたことではない。すなわち、『聖人知三世事』ほか諸御書に、仏の徳として未萠を知ることが説かれているところである。我々が信仰に励む上で、御仏智を頂き、後から考えると、まるで未来が判っていたかのような行動を、自然のうちにとっていて、護られたというような体験は、よく聞くところてある。これこそ信心の功徳であり、本因妙の仏としてして未萠を知ることの一分であろう。塔婆を建立する功徳として、未来の予知等の種々の功徳が述べられているが、これは経文の中から、一応その功徳を挙げたものである。それも、全て御本尊を根本とした信心の功徳と受け止めていくべきことなのである。故に、『日蓮正宗の行事』では、塔婆の功徳を説明する最後において、その一切を御本尊への信心に括って、説明を終了しているのである。このような配慮を無視して、単に経文に説かれるところを挙げた箇所のみを取り上げ、誹謗するとは、その底意たるや、まあわさに憐れむべしである