18 勲章大好き『糖尿病池田強姦作』
バカ?
無意味に過去の賞賛並べとるだけやないか
どれだけ実績があろうと、謗法犯して破門されたら無意味ですな

『仏教哲学大辞典』
「末法における開眼供養は、ただ三大秘法の大御本尊のみによる以外にないのである」
『広布と人生を語る』
仏・法・僧の三宝を敬い、供養を申し上げる事は、信徒としての根本である仏宝とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経即ち本門の大御本尊で、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は御歴代の法主上人に受継がれ、現在では日顕上人猊下に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が信心の根本である。
日蓮大聖人の御書を拝するにあたり、あくまでも御法主日顕猊下の御説法を中心としてよくよく拝していかなければならない。

本宗における厳粛なる法水写瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と代々の御法主上人に受継がれ今日に至っております。
あくまでも御本仏は日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人の御内証を大聖人と拝すべきであります。
七百星霜、法灯は連綿として法謗厳戒の御掟を貫き、一点の濁りなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人猊下によって伝持されてまいりました。(6-12)

日興遺誡置文は後代の門下への戒めとして示されたものであり、上人猊下を攻撃するものではない。間違った使い方をする輩がいるので、御書の意味にしても相伝が必要なのです。衆義たりと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事。僧宝とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、御僧侶は全部猊下の弟子である。法類である。故に如何なる理由があるにせよ、我々は僧侶を大事にしなければならない。(聖教S53・2・26)