2 たか
俊さん有難うございます。よくわかります。生長の家は徹底した唯心主義であり、また性善説の立場ですからね。僕も疑問を感じた事はあります。しかしいわゆる仏教でいう『色即是空』と同じ意味でしょう。物質を否定してるわけではありません。
生長の家が自己暗示や瞑想法に近いというのも理解できます。禅宗もそれに近いと思います。僕のような理屈っぽい無神論者には納得しやすかったんですが…。
唯心にも唯物にも偏らない中道を目指すというのはよくわかりましたが、それで『生命の實相』が間違ってる事になるんでしょうか?日蓮信徒が本尊の前で題目をあげるのは自己暗示は一切ないのでしょうか?