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「代々の聖人悉く日蓮なり」富士宗学要集第1巻32頁に記されている通り、この御文は日蓮大聖人が書かれた本文である。

宗祖云く「此の経は相伝に非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。『撰時抄愚記』/『日寛上人文段集』聖教新聞・初版

「塔中及び蓮・興・目」とあるように、塔中における上行菩薩への別付嘱が、末法においては唯授一人血脈相承として歴代上人に伝わっているのです。
祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。
(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々26世日寛上人『寿量品談義』/『富士宗学要集』第10巻131
「金口の相承」とあるように、唯授一人の相伝は大御本尊だけではありません。金口によって本仏の内証が相伝されているのです。だからこそ「此の経は相伝に非ずんば知り難し」とあるように、唯授一人の相伝によって下種仏法の深義を知悉し、法華経や御書、正師の指南等を正しく解釈できるのです。
総じて日蓮が弟子檀那等・・・信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり
「総じて」「信心の血脈」とあるように、総じての信心の血脈についての御指南です。
<在家のみの異体同心に血脈なし>
日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく「生死一大事の血脈」は「弟子檀那」が異体同心であるところに成り立つのです。いかに数が多くても、「檀那」である在家だけで仲良くやっても、異体同心とならないことは明らかです。よって、「弟子」である僧侶を蔑ろにし、"僧侶不要"を唱える今の学会に、生死一大事の血脈が通わないことは明らかです。
<昔の学会指導>
もとより血脈には、唯授一人の別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈があり、ここで仰せられているのは、総じての信心の血脈であることはいうまでもない(学会版日蓮大聖人御書講義『生死一大事血脈抄講義』30上−32頁)