3 班◆KfRH
【天理教】
天保九年十月、奈良県庄屋敷村の農家の主婦(笑)中山みきが神がかりとなり、親神天理王命の啓示をうけたとされたときに始まる。
その中山みきは、『帯屋神様』と呼ばれ(爆!
安産や病気の加持祈祷にはじまった。

最初は『南無天理王命』と唱えるだけだったが後に、幼稚な教義が形成されていき、流行神から講がつくられ大教会へと発展した。

笑えるのは、この中山みきは『人間寿命は皆、百十五歳』と説いていたが本人は九十歳で死んだ(大爆
勿論、その時教団はピンチに陥った。

教義はひどいもので教祖の中山の口をかりて『我は元の神、実の神であり、世界一れつを助けるために天降った』とされている(爆

ならなぜ万物に生命を授けるような慈悲深い神なら、それまで何故、現われなかったの?どこで何してたのかな?
それまでの民衆は見捨てられていたことになり、無慈悲な神決定じゃん(大爆

今時、こんなのにだまされる馬鹿もいまい(笑笑
もっと詳しいこと知りたいか‥???