50 名無しくん
祖師より興師へ御付嘱亦是れ三大秘法なり。興師より目師へ御付嘱も亦是れなり。(中略)目師より代々今に於て、二十四代金口の相承と申して一器の水を一器にうつすが如く云々 日寛上人『寿量品談義』
「金口の相承」とあるように、唯授一人の相伝は大御本尊だけでない。金口によって本仏の内証が相伝されている。だからこそ「此の経は相伝に非ずんば知り難し」とあるように、唯授一人の相伝によって下種仏法の深義を知悉している。
末法に広宣流布する妙法は断絶することがない、と説かれ、『報恩抄』には、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながるべし」と、大聖人の御慈悲が曠大であるが故に、妙法は万年の外、未来までも流れる、と仰せ。
創価が血脈相承を否定し、「大聖人直結」を主張することは、断絶することがないと説かれる仏法が、途中の何百年間、断絶していた、と言うに等しい。これは、大聖人の御慈悲が曠大であることの否定であり、法華経『薬王品』の予証の否定。また、法華経の『寿量品』には「現有滅不滅」「常住此説法」等と説かれ、御本仏の御化導は三世常住であることが説かれている。
なお、日興上人は『佐渡国法華講衆御返事』で、「案のごとく聖人の御後も、末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これらの人は謗法にて候なり」とあり、明確に、大聖人直結を言う者は「謗法である」と仰せである。