51 戦争容認=殺人=創価学会
墨田区向島にある本行寺は、本行院日優贈上人によって、寛永十五年(西暦一六三八年)、常泉寺塔中本行坊として開創された、本宗有数の歴史を持つ寺院である(寺号への改称は昭和十七年)昭和二十年三月十日の東京大空襲に遭い、ひとたび本行寺の堂宇は焼失したが、これを再興されたのは、後の第六十七世日顕上人であられた。
昭和二十二年に本行寺住職となられた日顕上人は、戦後の困窮と信徒離散の中、復興に尽力され、翌年、焼け野原となった旧地に十二坪の小堂を建立された。
その後、ここに立派(りっぱ)な堂宇が建立され、日顕上人は、信徒との折伏・育成に心血を注がれた。その御教導のもと、本行寺法華講は、広布に向かう講中としての盤石な基礎が築かれたのである。
昭和三十八年、本行寺住職に就任された高野日海御尊能化は、日顕上人の志を引き継がれ、寺域の拡大・本堂や法華講会館等の新築を成すとともに、当時の講頭である柳沢喜惣次氏(現・総講頭)をはじめとする、法華講員のさらなる育成に肝胆を砕かれた。本行寺法華講は現在、信行学に篤き講員二千世帯、約三〇〇〇名を擁する講中となったのである。