55 メロン大好き『糖尿病池田強姦作』
いいがかり?
すでに開眼の講義が食い違いだから『矛盾』を指摘しておる。
何度も引用したから詳細は省くが、血脈妙講義・聖教・大白等で『血脈には法体の血脈と信心の血脈がある。…』と解釈しておる。
御書の解釈が同じならば、池田の書物で回答して問題無いよな。違うから『合僧時代の…』て言葉が出るんだろ。
56 メロン大好き『糖尿病池田強姦作』
富士宮の討論は池田の書物は引用するなとの条件付き
そもそも御書の解釈が同じならば、引用しても問題は無い。その時点で過去と解釈が違うと認めたようなもの。

再掲載

学会版『仏教哲学大辞典』
「末法における開眼供養は、ただ三大秘法の大御本尊のみによる以外にないのである」(同書 一-五九〇頁)
『大白蓮華』
「末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本仏様であらせられるのであります。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の姿でなくてなんでありましょうか。これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります」(同書 六二-二七頁)
「日蓮正宗の根本中の根本は、ご存じのとおり、本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本尊と日蓮大聖人以来の血脈を代々受け継がれる御法主上人がおいでになり、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。みずからの信心の濁りや驕慢から、その根本軌道を失ってはならない」(広布と人生を語る 六-四一頁)