56 無名さん
此度(このたび)、普請に取り懸(か)かり候(第53世日盛上人御手紙=慶応元年4月)日盛上人が火災後も大石寺で復興の指揮を執っておられた証拠。

已に普請に取り掛かるべく種々と支度手配いたし候ところ、大難に大難重なり大衆一同より故障出候(いでそうろう)耳(のみ)ならず、霑師は御出府、何とも混雑、将にまた、檀中一同、不信無法の者、殊に不帰依なり。またまた内謁のところ、なかなか難しき一条之有り。拙僧すること為すこと、皆悪しく相なり、是には困り入り候(第53世日盛上人御手紙=慶応元年4月)
「大衆一同より故障」が出て、さらに「檀中一同、不信無法の者、殊に不帰依」という状態により、大石寺復興に支障を来(きた)されていたことがうかがわれる。
・5月7日 大坊を辞して下之坊へ移り、後、下野平井信行寺へ赴く◆日盛師も去月(五月)七日下之坊へ隠居致され、大御隠居英尊師(諸事)御引き受け御再住下され候(第52世日霑上人御手紙=慶応元年6月/)
日盛上人が下之坊へ隠居されたのは「去月(五月)七日」と記されている。
到れば盛師(日盛上人)亦(また)下之坊を脱し去り行衛(ゆくえ)知れず(第52世日霑上人『霑伝』)
第51世日英上人が後事を託されて再住
本山御跡式御引き譲りの義、今本山に両能化もおられ候えば、いずれの仁(ひと)へか、お譲り相成り候様(第53世日盛上人)
後継の御法主については、日盛上人御自ら、日英・日霑両上人に後継の御法主の選定を委ねられている。
日盛師も去月(五月)七日下之坊へ隠居致され、大御隠居英尊師(諸事)御引き受け御再住下され候(第52世日霑上人お手紙)