59 無名さん
創価自らを破折
訂正記事
本誌56号、16頁、臨終の明暗(6)57世阿部日正上人の御臨終の項で、『それから程近い水口屋旅館において、総本山57世阿部日正上人より、58世土屋日柱上人への御相承が、2日1晩にわたっておごそかに行われた』とありますが、これは編集記事の間違いでした。
事実は、阿部日正上人は御臨終近きにあることを悟られておられましたのですから、『興津の一寓で静かに御療養あそばされておられた。そして大阪から呼び寄せられた本山学頭・土屋慈観師(後の58世土屋日柱上人)は、日正上人の御住居から程近い水口屋旅館に止宿され、そこから阿部日正上人の御住居に通われて、2日1晩にわたって御相承を受けられたのである。』
御相承の大事だけに、慎んでここに訂正し、深く誤りを御詫び申し上げます。(編集部)」(『大白蓮華』第57号)
>みよ、かつての学会は、真相に基づき、明らかに、「在家に相承を託した」「蓮華寺で相承した」等の妄説を打ち破っているではないか。
また、かつては、「御相承の大事だけに、慎んで訂正」までしているのに、いまや、平気でデタラメを書いて本宗の血脈相伝を誹謗する・・・・これが創価学会の手口なのである。
訂正記事
本誌56号、16頁、臨終の明暗(6)57世阿部日正上人の御臨終の項で、『それから程近い水口屋旅館において、総本山57世阿部日正上人より、58世土屋日柱上人への御相承が、2日1晩にわたっておごそかに行われた』とありますが、これは編集記事の間違いでした。
事実は、阿部日正上人は御臨終近きにあることを悟られておられましたのですから、『興津の一寓で静かに御療養あそばされておられた。そして大阪から呼び寄せられた本山学頭・土屋慈観師(後の58世土屋日柱上人)は、日正上人の御住居から程近い水口屋旅館に止宿され、そこから阿部日正上人の御住居に通われて、2日1晩にわたって御相承を受けられたのである。』
御相承の大事だけに、慎んでここに訂正し、深く誤りを御詫び申し上げます。(編集部)」(『大白蓮華』第57号)
>みよ、かつての学会は、真相に基づき、明らかに、「在家に相承を託した」「蓮華寺で相承した」等の妄説を打ち破っているではないか。
また、かつては、「御相承の大事だけに、慎んで訂正」までしているのに、いまや、平気でデタラメを書いて本宗の血脈相伝を誹謗する・・・・これが創価学会の手口なのである。
60 池田大作
我が創価学会は新しい仏を制定しました。組織が仏なので、学会員みなさんが仏なのであります。よって創価学会では
オカマゆうき仏なるものも諸天善神に付け加えさせていただきます。
オカマゆうき仏なるものも諸天善神に付け加えさせていただきます。
61 無名さん
この日正上人は、7月のはじめ乃至(ないし)6月の終りかも知れませんが、大正12年の夏のはじめに体がお弱くなったために、いちおう興津へ一軒を借りまして、ご養生されておりました。その時に私も7月中頃以後、そこにお付きをしておりまして、よく、その間の事情は知っております。それで、8月11日の夕方に大学頭・日柱上人が、大阪の中弥兵衛という人と牧野梅太郎という人の2人に付き添われて、興津の日正上人のところへ来られました。
また崎尾正道という人がおりまして、これは日正上人の弟子で、私よりも年は上だけれども、後輩の人でず。この人が非常に日正上人にかわいがられて、奥番なんか長くして、非常に用いられました。そのために、たいへん僭越(せんえつ)になって横暴(おうぼう)を極め、そして崎尾自身が日柱上人を非常に嫌っておった。日柱上人という人は非常に強い方で、悪いことがあると頭からガンガン怒る方でございますから、非常に付き合いにくい。それで崎尾も日柱上人を嫌がった。
それに反し日開上人は温厚な方で、寂日坊から、常泉寺へ入られた。
ですけれども、(崎尾は)日開上人にどうしても、日正上人の跡をやっていただきたい。そうすれば自分もきっと幅をきかせられる、と思ったのでしょう。そこで、日開上人を日正上人の跡にしようと、策謀したのでございます。
ところが、日正上人は日柱上人を大学頭にしておるのだから、それより下の日開上人に法を譲るということはできないと、固い心があった。
また崎尾正道という人がおりまして、これは日正上人の弟子で、私よりも年は上だけれども、後輩の人でず。この人が非常に日正上人にかわいがられて、奥番なんか長くして、非常に用いられました。そのために、たいへん僭越(せんえつ)になって横暴(おうぼう)を極め、そして崎尾自身が日柱上人を非常に嫌っておった。日柱上人という人は非常に強い方で、悪いことがあると頭からガンガン怒る方でございますから、非常に付き合いにくい。それで崎尾も日柱上人を嫌がった。
それに反し日開上人は温厚な方で、寂日坊から、常泉寺へ入られた。
ですけれども、(崎尾は)日開上人にどうしても、日正上人の跡をやっていただきたい。そうすれば自分もきっと幅をきかせられる、と思ったのでしょう。そこで、日開上人を日正上人の跡にしようと、策謀したのでございます。
ところが、日正上人は日柱上人を大学頭にしておるのだから、それより下の日開上人に法を譲るということはできないと、固い心があった。
62 無名さん
昨夜の本種院の話によっても、『崎尾正道は勝手なことをするからよく注意しろ』と言われたくらいで、非常に気にしておられたのであります。
たまたま崎尾も興津へ行っておりまして、私も興津へ行って日正上人のお側へついて、お給仕をしておりました。崎尾も来て、何かと、若い我々に対していろんな、今も言ったとおり『日柱上人はだめだから、日開上人がやってくれなくては宗門はだめになる』ということを常に吹きこんだ。それから『師匠の日正上人もその心でいる』ということを言われましたから、私は本気にしておったのです。
で、たまたま8月11日のタ刻、今言ったとおりに、日柱上人が日正上人に呼ばれて来た。その前に日正上人がもうお体が悪いからというので、本山では非常にいろんな策謀があったのです、崎尾がそのもとですが。
そのために日正上人は、日柱上人がそれに巻き込まれることを恐れて、大阪へやってしまったのです。大阪の今の牧野梅太郎の家が宿屋をしておりましたから、そこにしばらく避けていろと言って、やられておったのです。
その日柱上人が呼ばれて、その11日の夕方着きました。そのころの汽車はのろいですから、夕方やっと興津へまいられました。そして夏のことですから、蚊がおりますから、蚊帳(かや)をつって日正上人がおられました。そこへ3人が来ました。(中略)それで、しばらく話をされて、とにかく今夜12時に日柱上人にもう1遍来い、と言って帰しました。
3人は、興津に大きな宿屋が当時ありまして、何というのか覚えていませんが、その宿屋へ行って泊っておって、夜中の12時に再び来まして、それで今度は日柱上人だけが、蚊帳に入ってゆっくりお話を聞いたのです。それがご相承だったのです。」(『蓮華』S47.6)
たまたま崎尾も興津へ行っておりまして、私も興津へ行って日正上人のお側へついて、お給仕をしておりました。崎尾も来て、何かと、若い我々に対していろんな、今も言ったとおり『日柱上人はだめだから、日開上人がやってくれなくては宗門はだめになる』ということを常に吹きこんだ。それから『師匠の日正上人もその心でいる』ということを言われましたから、私は本気にしておったのです。
で、たまたま8月11日のタ刻、今言ったとおりに、日柱上人が日正上人に呼ばれて来た。その前に日正上人がもうお体が悪いからというので、本山では非常にいろんな策謀があったのです、崎尾がそのもとですが。
そのために日正上人は、日柱上人がそれに巻き込まれることを恐れて、大阪へやってしまったのです。大阪の今の牧野梅太郎の家が宿屋をしておりましたから、そこにしばらく避けていろと言って、やられておったのです。
その日柱上人が呼ばれて、その11日の夕方着きました。そのころの汽車はのろいですから、夕方やっと興津へまいられました。そして夏のことですから、蚊がおりますから、蚊帳(かや)をつって日正上人がおられました。そこへ3人が来ました。(中略)それで、しばらく話をされて、とにかく今夜12時に日柱上人にもう1遍来い、と言って帰しました。
3人は、興津に大きな宿屋が当時ありまして、何というのか覚えていませんが、その宿屋へ行って泊っておって、夜中の12時に再び来まして、それで今度は日柱上人だけが、蚊帳に入ってゆっくりお話を聞いたのです。それがご相承だったのです。」(『蓮華』S47.6)
63 無名さん
このように、日達上人が事実を記されたことによって、「在家に相承を託した」とか、「日開上人が日柱上人への相承を阻もうと画策した」などと述べる学会の説は、ことごとくウソであり、真実は、日正上人より日柱上人へ直々に口決相承があり、学会のいう「策謀」とは、崎尾正道によるものであったことが明確にされているのである。
この崎尾正道とは、池田の小説『人間革命』第8巻で、「蓮華寺のS住職」としで描かれており、宗門に敵対して離脱していった人物であるから、学会古参幹部諸氏も、その人となりについてはよく知るところであろう。
その崎尾正道による策謀の汚名を、言うにこと欠き日開上人に着せるとは何ごとであろうか。
しかし、右のように真実を見てくれば、学会の底意がどこにあるかがわかる。
すなわち、「崎尾」という一僧侶の策謀とするより、現御法主日顕上人猊下の御尊父であり、後に第60世御法主となられる日開上人が策謀を企てたことにした方が、日蓮正宗の血脈を誹謗するには都合がよかったのである。
以上に見てきたように、創価学会の疑難は、時に自らの機関誌さえ無視し、時に大恩ある日達上人の御言葉すらも無視して、都合よく作られたものである。
この崎尾正道とは、池田の小説『人間革命』第8巻で、「蓮華寺のS住職」としで描かれており、宗門に敵対して離脱していった人物であるから、学会古参幹部諸氏も、その人となりについてはよく知るところであろう。
その崎尾正道による策謀の汚名を、言うにこと欠き日開上人に着せるとは何ごとであろうか。
しかし、右のように真実を見てくれば、学会の底意がどこにあるかがわかる。
すなわち、「崎尾」という一僧侶の策謀とするより、現御法主日顕上人猊下の御尊父であり、後に第60世御法主となられる日開上人が策謀を企てたことにした方が、日蓮正宗の血脈を誹謗するには都合がよかったのである。
以上に見てきたように、創価学会の疑難は、時に自らの機関誌さえ無視し、時に大恩ある日達上人の御言葉すらも無視して、都合よく作られたものである。