60 *俊◆692T
>>54
日興上人が、日蓮大聖人の傍らで御護りしていくなかで、日蓮大聖人こそが、法華経の行者であり末法の御本仏だと確信されたのです。
ですから、大石寺を建立された日興上人を大導師御開山としている日蓮正宗が、日蓮大聖人を御本仏とするのは当然です。
寿量品の自我偈に『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』とあるように『一身欲見仏 不自惜身命』を実践された日蓮大聖人様が御自身の御本仏開顕を、三大秘法成就のために『出世の本懐である一閻浮醍総与本門戒壇の大御本尊』を御建立されたわけです。
ですから、仏宝[自受用報身如来の御当體として日蓮大聖人なのです]
法宝とは南無妙法蓮華経[本門戒壇の大御本尊様]
僧宝とは[大導師御開山、日興上人]なのです。
歴代上人も法主上人には血脈付法があるのです。
合掌するのは、御大法を護持してきた正師であり、僧宝に連なる上人猊下として御報恩申し上げているのであって仏に近いと言うことです。
法華経の教えは宇宙の真理ではありません。
[法華経化城喩品]の『願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道に成ぜん』から起きる化儀です。
ですから、根本は一切衆生と有縁無縁法界すべてに報恩感謝し一即一切・自他一如の一生成仏を目指しているんです。