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う〜ん 例えば、四六時中、死にたいと思ってる人も、世の中いる訳で、そのような人は大概、その気持ちの中の繋がりが表面に出てきて、周りにも回向してしまい、気持ち悪がられ、暗いだけでけなされ、苦しくて更に、何も思いを変える気力がなければ、次の日も死にたいを積み重ねている。もし自身で思い続けたらどうだろう。その思い悪ければ、最期は死ぬしかないとなる。だから、気持ちの面では漠然としていても『救う』思いが自身を救い、怒りの感情に流されにくくなり、怒りと怒りが飛び交う地獄の中でも、流されにくくなるから、気持ちの中は平和になる。
あと、これに毎日の先祖供養(団体生活の人は、心の中でもよい) をして、諸天の加護に感謝することで守られ救われる。
また、南無(命を預ける)妙法蓮華経(仏)が正しく出来れば、仏と繋がり命を預けて導かれてるのがわかる。でも、さぼっていたら、先祖や諸天の加護の力が弱まり、魔に仕掛けられやすくなる。怒らせたり、調子に乗せたりと、まわりがあらゆる、様々な手段で仕掛けてくる。その時に怒りや、感情に流されにくい気持ちが自身を救う。魔王は仏の従者には怒りが隠せない。仏の従者が力を増せば、その姿が釈伏になっていく。人は元々は魔王の従者。魔の従者の道から救い、従者を奪うものに対する怒りは隠せない。