62 戦争容認=殺人=創価学会
二十九世日東上人三十一世日忠上人印可ノ朝夕勤行次第東天ニ向ヒ奉リ方便寿量唱題
梵天帝釈日月明王四大天王諸天善神御報恩謝徳首題『天拝集説』
天拝の事に付いては、(中略)日有上人も宗旨である化儀の根本であると言はれたやうに、大切な事であるから疎忽に議論を上下すべき事でないので、茲に宗祖大聖人已来先聖の文献を引き奉りて、御聖意の在る所を御一同と共に伺ひ奉る事にして、最後に愚生の拝感の意を披瀝して見やふと思ふ。上記の史料を掲載された意図は「天拝の事に付いて」「宗祖大聖人已来先聖の文献を引き奉りて、御聖意の在る所を御一同と共に伺ひ奉る」ためである。あくまでも天拝の意義を拝することが目的であって勤行様式全体について考察するものではない。だから、天拝に関する記述だけを抜き取って引用されたまでのことであり、「日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であった」などということはできない。その証拠に大聖人の御書についても天拝に関するものしか引用されていない。日有上人や日鎮上人、日寛上人の項では勤行全般について引用されているが、これは引用部分自体が短かかったり、天拝部分と他の部分との分離が容易ではなかったためである。
常識的に考えても、勤行で本尊供養をせずに諸天供養(それも東天に向かって)だけで済ませるなど、ありえないではないか(爆笑)
日有上人時代は勤行を1日に3回していたこと、日鎮上人は四座だったこと、日寛上人は六座していたこと、日東上人日忠上人時代の朝夕勤行次第は一座であったことを挙げ、結論として「五座を延べて六座となし七座となすも、伸縮正略は自在なるべき」といっても、誰でも勝手に化儀を改変してよい、という意味ではないことは明らか。
宗門の勤行式の中で、天拝を初に別座に勤むる事について、近年間々疑惑を懐たく人があるとの事である、富士門流を汲める他の本山内(今の本門宗)にては、既に三十年前に天拝廃止の声あるのみでなく、早や実行している人もありと聞くが、宗門には勝手に廃止せる人はあるまいと思ふが天拝廃止の考へある人は、願くは愚納に其趣意を示されたい『天拝集説』