65 無名さん
●学会の内部資 料(学会が裁判の際に証拠として提出した"池田大作の行動記録")によれば、池田は昭和45年当時より、五座三座の勤行もまともにしていなかったことが明らかです。
・「十四時二十五分 勤行  十四時三十五分 手紙二通書く」→勤行10分
・「十三時十五分 勤行  十三時二十分 食事 広間 原稿」→勤行5分
・「十一時〇〇分 勤行  十一時〇〇分 離れに行かれる」→勤行0分
・「十四時〇四分 勤行  十四時一〇分 終了 おそば」→勤行6分
(学会が「月刊ペン」裁判の際に証拠として提出した"池田大作の行動記録")
 池田の朝の勤行というのは、ほとんど、5・6分、あるいは0分(おそらく題目三唱のみ)といった、呆れ果てた体(てい)たらくなのです。
 それ故(ゆえ)、かつて、池田大作が総本山大石寺の法要に参詣(さんけい)した折など、わずかな時間の正座で、すぐに足がしびれて立てなくなるのを、多くの僧俗(そうぞく)が目の当たりにしています。