69 メロン大好き『糖尿病池田強姦作』
それだと身延でもOKになっちまうぞぉ

「拝する側の信力・行力」とは凡夫衆生の信心であり、「御本尊の仏力・法力」とは御本仏の力用のことで、この仏意・機情の二義を同等に論ずることは法義の混乱になる。日寛上人は、『観心本尊抄文段』に「若し観心即本尊に約せば入文の相に違うなり」
(富要 4-222頁)と、厳しく二義の混同を戒められ、さらに同書に「若し正境に非ざれば、仮令、信力・行力を励むと雖も、仏種を成ぜず」(富要 4-228頁)と、信仰者の信力・行力よりも、正しい御本尊を正境として信仰することが第一番に大事であると説かれている。