70 名無しくん
【学会が廃止した大聖人以来の化儀】
@東天に向かっての読経唱題
●宗門の勤行式の中で、天拝を初に別座に勤むる事について、近年間々疑惑を懐たく人があるとの事である、富士門流を汲める他の本山内(今の本門宗)にては、既に三十年前に天拝廃止の声あるのみでなく、早や実行して(廃止)いる人もありと聞くが、宗門には勝手に廃止せる人はあるまいと思ふが天拝廃止の考へある人は、願くは愚納に其趣意を示されたい
日亨上人は天拝について「勝手に廃止せる人はあるまい」と仰せである。●又某を恋しくおはせん時は日日に日を拝ませ給へ・某は日に一度・天の日に影をうつす者にて候(『新池御書』全集1444頁)
●日蓮も信じ始め候し日より毎日此れ等の勘文を誦し候て仏天に祈誓し候(『祈祷経送状』全集1357頁)
学会では諸天供養を「御本尊に向かって」(『聖教新聞』H16.9.10)することを基本にしている。カッコ付きで「東の方に向かってもよい」(同)などとしている。しかも読経はなく題目三唱のみである。御本尊に向かうという本来ではない化儀を基本とし、東天に向かうという本来行うべき化儀を軽くみている。これは本末転倒である。
個人的には東天に向かう可能性を残しながらも、組織としては東天に向かうことなく勤行を行うのであるから、大聖人以来の化儀に組織として反していることは明白である。
●常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ(『月水御書』全集1201頁)
これは信徒に対する大聖人御自身の御指南である。それに対して御書掲載の『自我偈』『十如是』読誦等は、対告衆独自の修行に過ぎない。