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就任した日亨上人は優れた人格で人望を集め、不本意ながら法主の座についたが、阿部法運(日顕の実父)はその直後から早期退座を画策しはじめた。

卑怯なやり方だった!ぶざまな紛争から立て直そうと日亨上人は「宗制の改正」をめざしたが、起草委員、宗務委員、評議委員などが黙殺した。
所謂、シカトだ、まるで小学生のいじめだ。

孤立した日亨上人はやむなく在位一年余の昭和二年十一月に退座を表明せざるをえなかった。

この画策を後ろで糸を引いていたのは阿部法運であった。