89 名無しくん
何言ってんだ?殆どの上人批判しとるやないけ!

血脈については、法体の血脈と信心の血脈等がある。御書に『生死一大事血脈抄』がある。その冒頭に「夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり」と仰せである。これは別しては日蓮大聖人の御内証そのものであられる南無妙法蓮華経の法体が生死一大事血脈の究極であるとの意味である。
この別しての法体の血脈相承は『身延相承書』に「血脈の次第日蓮日興」と仰せのごとく、第2祖日興上人にすべて受け継がれ、以後、血脈付法唯授一人の御法主上人が伝持あそばされるところである。同抄に「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」の御文は「別して」の法体の血脈を大前提としての「総じて」の信心の血脈を仰せなのである。故に、代々の御法主上人猊下の御内証によってお認めの御本尊を受持していくことが正しい信心の在り方であり、総じての生死一大事の信心の血脈となる。故に、別しての法体の血脈相承と、総じての生死一大事の信心の血脈とは、その意味に違いがあることを確認しておきたい。(池田大作「教学上の基本問題について」
『聖教新聞』S53.6.30)
ここに述べられていることは、日達上人にお詫び申し上げ、また宗門僧侶や一般創価学会員に公表したものであり、日蓮正宗の正義である。もし創価学会の「信心の血脈」論≠ェ、破門以前から存在していたとするならば、創価学会は当時表面では右のような正義を述べながら、裏では日達上人をはじめ宗内僧俗を欺いて、己義謗法を抱いていたことになる。またそれが破門以降に生じたというのであれば、明らかな教義改変であり、異流義謗法ではないか。(『大白法』H17.7.1)

信心の血脈だけだと、日蓮宗や正信会にも血脈が通う事になるが、正信会・日蓮宗との違いを法義にのっとって答えてください。