94 信者
>>82>>83>>87さん。そうですねぇ…貴方は無いと言う前提から物事を捉えてませんか?でも、心の使い用は、各々人間の自由ですよね。貴方には悩みとか、辛いと言った事には無縁なのでしょうか?人間には、神や仏が無い、いや、有るかもしれない、いや、絶対に有る。それぞれが信教の自由の中では許される心使いなんです。貴方も、もしかしたら神様はあるかもしれない、そんな気持ちも時には試してみてはいかがでしょうか?。今、辛い事、苦しい事、?自分は過去に人に同じ事して無かっただろうか?ああ、昔は俺も人を不快にさせた事が有ったなぁ…などと僕は何か有ると思いますよ。人様にはなかなか頭を下げられないのが人間の本質で、だから神様や仏様があるのでは?人間は神仏の前には自然にこうべをたれますよ。神仏とはそう言うもの。あとは人間の知恵を持って神仏を形として明らかにして行く、その努力の積み重ねでいつの日か、証明されるのでは?、無名さん。人の信じてる事を否定すると言う事は大変な事ですよ。僕も以前、安易な一言でエホバの証人の人達に囲まれた事が有りました。代表と話合う中で、彼らが命懸けで信仰している事を肌で感じたので、僕は心から謝罪しましたよ。イスラムの悪魔の詩の翻訳で日本人が殺されましたよね、信じている主体性を否定すると言う事は、難しい項目なんですよ。貴方も何かを信じてるでしょ?それは家族だったり、友人だったり、ねっ解るでしょ。