1 友光賢二郎 総格37画 

生はひとときのくらい

生は、一瞬のあり方であって、その先も生は連続しています。それは、生が終わったから、死にいたるというものではなく、生と死はつながっているのです。「生死は、すなわち仏の御いのちなり」生死は仏そのものであり、自然そのものです。僕たち私たちは、生と死を対置するものと考えて、死を恐れて、そこから目をそむけようとする。それは、仏のいのちを生きていない、ということになるのです。