8 ルーチョ◆hBlo
>>5 バーレーン出発前の成田空港で岡田監督は、市原コーチ時代の教え子で北京パラリンピックの車いすバスケットボール日本代表の京谷和幸(37)と10年ぶりに再会。昨夜から硬かった監督のほおが緩み、自然と笑みがこぼれた。肩をたたき、がっちり握手した。
 岡田「頑張れよ」
 京谷「はい頑張ります」
 岡田「オレに頑張れはないのか?」
 京谷「岡さん、頑張ってください」
 岡田「分かった」
その後記者団に向けて
岡田「偶然会った。オレがコーチだったときの選手だったけど、あいつ事故を起こして…。久しぶりだった」。珍しく自分から切り出した。93年11月、五輪代表候補にも選出された京谷は、Jリーグに初出場した8日後、交通事故で選手生命を断たれた。当時コーチだった岡田監督は見舞いに訪れ、こう言った。「これからも目標を持たないと大変だぞ」。その一言が失意の教え子を車いすバスケットへ導くきっかけになった。「当時はうるせぇよと思ったけど、夢を持ち続けなければいけないと思った」と京谷は言う。
 もちろんアウェーの大一番を控えた岡田監督にとっても京谷の元気な姿は、大きな力になった。流通経大に敗れて、どん底の中、サッカー選手の夢を失いながらも、世界と戦う舞台まではい上がった教え子の姿に励まされた。出発直前、岡田監督は搭乗口で待っていた京谷と再び握手した。「おう頑張れよ。オレたちも頑張ってくるからな」。

一部改編しました。俺はこういう師弟関係や友情に憧れる。長文スマン。