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思い出の夜行列車

昨夜は「新星」に乗って久しぶりに583系の寝台列車で上野を後にしました。もう夜行列車に乗ることそのものが特別な目的になってしまった今、皆さんの印象に残っている夜行列車、昔のワイド周遊券でさんざんお世話になった夜行列車、思い入れのある夜行列車、珍しい夜行列車などはありますか?最近年を喰ったせいで“懐古ネタ”ばかりになってしまいますが、皆さんのお話を聞いて、その当時を懐かしみ、思い出してみたいと思います。
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夜行列車といえば20系も欠かせないものですね!私は20系が一番輝いていた時代に写真を撮り、少しずつ新系列寝台車に置き替る頃から乗り始めています。その20系が「あけぼの」を最後に特急から撤退し、急行に格下げされて地方の夜行にも使われるようになりましたが、それも次第に減っていき、晩年は宮原に操配用として残ったモノクラスの20系が短編成ながらも「玄海」「雲仙」「霧島」という懐かしい名前の臨時急行で走ったのは最後の栄光だったでしょうか。すべてに私も乗りましたが、やはりどこもくたびれているのが余計侘しかった印象が残っています。
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私にとって思い出深い夜行列車として、今から19年前の夏に乗った山陰本線・京都〜出雲市の夜行鈍行『山陰』が挙げられます。10系旧型B寝台車1両+12系5両の編成で、この列車が私にとって初めての寝台車・夜行列車の乗車となりました。季刊誌『旅と鉄道』の1984年春号に『山陰』の乗車記を読んで「絶対乗りたい!!」と夏休みに狙っていました。
そして、1ヶ月前に京都→米子で寝台券を購入したのですが、なんと中段しか空きがありませんでした。乗車当日、夜中に寝起きで何度も天井に頭をぶつけた記憶があります。今でもその寝台券は大切にしております。
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高校時代までは勿論国内だけでしたが、大学に入るやいなや海外がメインとなり、気が付けば国内の状況も一変していて驚いたものです。ちなみに高校時代の1986年夏の、大阪からの白鳥の旅路と、函館から札幌までの夜行普通、確か43レが忘れられません。白鳥は村上を出ると段々暗くなってきて、青森までの数時間は完全に夜行旅情溢れるものでしたし、43レは、今のカーペットカーの走りですよね?車内をカーペット敷にして、ゴロンと横になっての移動は快適そのものでした。ただ鉄が集まり話に花が咲き過ぎ(笑)?一般客に怒鳴られたのと、早朝3時半のニセコ駅が快晴だったのが印象的です
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お金の無い中学時代(1983)に一度だけ、仲間3人と周遊券を使って九州旅行をした際に、ながさき号となは号に乗てました。軟弱者の一人は寝台を利用し、我々二人は極暑の座席でした。暑い夏の九州で、冷房の効いた10系寝台は眩しく見え、門司港駅での発車までの時間を利用して探険したのは言うまでもありません。車窓では早朝の大村線の海沿いの区間の眺めのヨサは忘れられません。スピードが出てないので尚更ですね。しかし鳥栖まではかなり飛ばしてた様な気が…。夜行に乗って勉強になったのは、夜間でもDCはエンジンを切らずに留置されてるのが分かった事でしょうか?
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↑続きなんですが、そのお金の無い中学生ドモが切符を買いにきたからでしょうか、当時の京都駅旅行センターのカウンターの若いお姉さんは、「なは」で京都(実際の運転区間は新大阪)に帰るのなら、新大阪から京都まで新幹線自由席特急券を一緒につければ(つまり乗り継ぎ割引)特急券が半額になるからと、お得情報を教えてくれ、そこに気付きもしなかった我々中学生を驚かせました。なんせ生意気ながら相手はOLとなめてた部分があったものですからね。案外こんな事が「なは号」よりも鮮明に記憶に残ってたりしますね。
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