1 元講員

宗門の広布唱題会って

何の意味があるの
折伏の経験が全くない日犬日尿が折伏しましょうだあなたは、こんな坊主を信じられますか?   日蓮仏法の根幹である折伏の経験が全く無いのに法主になれる宗門て血脈があるのですか箱のやりとりが血脈なのですか
広布唱題会の意味は名無しさん、お答え下さい。
46 無名さん
>>44-45
っていう夢見たんでしょ?            坊さんが、そこまでやつて            身延の10分の1にも満たない          いい加減に目ぇ覚ましたら?
47 無名さん
>>44-45 そんな話、初耳なんだけどぉ 詳しく聞かせてよぉ        日っ顕の折伏なんか誰も聞いたことないから前代未聞だね。         保存しとくから聞かせてどーぞー
48 無名さん
また作り話か妄想だよ
49 無名さん
日犬のシャクブクで信心する椰子なんかいねーょキャァ―
50 戦争容認=殺人=創価学会
書いてやってもいいけど、池田が折伏した証拠はどした?具体的にどうぞ
51 戦争容認=殺人=創価学会
墨田区向島にある本行寺は、本行院日優贈上人によって、寛永十五年(西暦一六三八年)、常泉寺塔中本行坊として開創された、本宗有数の歴史を持つ寺院である(寺号への改称は昭和十七年)昭和二十年三月十日の東京大空襲に遭い、ひとたび本行寺の堂宇は焼失したが、これを再興されたのは、後の第六十七世日顕上人であられた。
昭和二十二年に本行寺住職となられた日顕上人は、戦後の困窮と信徒離散の中、復興に尽力され、翌年、焼け野原となった旧地に十二坪の小堂を建立された。
その後、ここに立派(りっぱ)な堂宇が建立され、日顕上人は、信徒との折伏・育成に心血を注がれた。その御教導のもと、本行寺法華講は、広布に向かう講中としての盤石な基礎が築かれたのである。
昭和三十八年、本行寺住職に就任された高野日海御尊能化は、日顕上人の志を引き継がれ、寺域の拡大・本堂や法華講会館等の新築を成すとともに、当時の講頭である柳沢喜惣次氏(現・総講頭)をはじめとする、法華講員のさらなる育成に肝胆を砕かれた。本行寺法華講は現在、信行学に篤き講員二千世帯、約三〇〇〇名を擁する講中となったのである。
52 無名さん
所属していた学会員の数?
53 戦争容認=殺人=創価学会
『現在』の意味が分かりませんか?つまり学会員抜きの数ですな池田が折伏したのはいつ?活動家なら知ってるんだろ?
54 はん
いい気になってやがるなぁチキンイジはよ〜    戦後、宗門が経済的に落ち込んでたのを法華講では救えなかっただろうがよ。 学会の出現によって宗門が甦生したんだろうよ。  正本堂も、大客殿も、大講堂も、総坊も、学会の寄進で三百五十八か寺にのぼる。おまけに膨大な土地も寄進してきた。      お前ら法華講が何やったってぇの?
日顕なんか何もやってねーの知らねーのか?バ〜カ
この腰抜け共が
55 戦争容認=殺人=創価学会
バカかボケ学会員
交通の悪い場所に寄進して、ほとんどの金は会館建設に回しただろが
第一、牧口を折伏したのは法華講員。信徒としては当然の行動。
池田同様に増上慢ですな
昭和52年の教義逸脱問題で破門騒ぎになって、お詫びとして寄進すると、創価からの申し入れだろ