1 無名さん

題目預金

某サイトで架空の銀行とかって書かれてたから笑っちゃった… ただ 題目をしたら 枠を塗り潰すだけなんですが…会員になぜか強要??だって…アホラシィ 強要される訳がないのだが…
92 頭籐元気
なんだぁ〜
開示できないのか〜
逃げるのかよぉ〜(笑)
93 頭籐元気
周知のとおり勤行には正行と助行がある。正行は言うまでもなく唱題である。御本尊への信を根幹として、己心の仏性を現す修行が唱題であり、自身の生命を練磨して一生成仏を遂げていくための根本の修行となる。
また、広宣流布を実現していくための修行の根幹でもある。これに対して、方便品と寿量品の読誦は助行である。その意義は所破・所用などと言われるが、要するに正行の南無妙法蓮華経の題目を賛嘆するという意義がある。成仏の根源の法である何妙法蓮華経を、方便品・寿量品という仏の最高の言葉によって賛嘆するのである。 御本尊を信じ、南無妙法蓮華経の根本を修行し、賛嘆して、生命を練磨していくのが勤行の本義である。そして、個人の一生成仏と広宣流布の実現が勤行の目的である。
中でも自我偈は、寿量品の要約であり、法華経二十八品の魂であり、仏法の真髄である。大聖人は自我偈に説かれている永遠の仏の生命を御自身の生命に悟り、南無妙法蓮華経として顕された。その意味で、自我偈こそ南無妙法蓮華経を最も深く説明し、大いに賛嘆している経文である。
このような自我偈には、題目の功徳を助け顕す利があるので、 大聖人も諸天への供養や諫暁、故人への回向などをされる時は、「自我偈少々」等と言われて自我偈を読誦し、ただし十八円満抄には「正行には唯南無妙法蓮華経」と仰せのように、功徳の根本は題目にあることは言うまでもない。
したがって、「方便品・自我偈の読誦と唱題」には、大聖人の仏法における勤行の本義と目的が欠けるところなく具わっているのである。
94 頭籐元気
再度、問う。
>>80>両品とは方便品と寿量品の意味ですが?

君たちの解釈はいつからそうなったの?(笑)
95 名無しくん
そもそも、勤行を含めた本宗の化儀は、御歴代上人の権能に収まる事柄であり、時の御法主上人は、正法正義に照らし、時に応じて、それを裁定なさるのである。
日寛上人は、方便品を読誦する意義は、その経文の中に「唯仏与仏乃能究尽」の文と、一念三千の出処となる「十如是」が含まれているところにある、と示され、「十如の文は既(すで)に是れ一念三千の出処なり。故に但之れを誦すれば其の義則ち足んぬ」(六巻抄169頁)と仰せになっている。一方、寿量品には、「一念三千の法門は但法華経本門寿量品の文の底にしづめたり」と仰せのごとく、事の一念三千・三大秘法の妙法蓮と仰せられ、「我本行菩薩道 所成壽命 今猶未盡復倍上数」の本因初住の文底に秘沈されている、と明かされている。しかして、この「我本行菩薩道」の本因初住の文は、自我偈ではなく寿量品の長行中にあるのである。となれば、事の一念三千の御当体たる大御本尊を賛嘆(さんたん)申し上げるのに、方便品の十如是までと寿量品の長行は、法義上、必要最低限な助行であること、明々白々ではないか。
すなわち、現時における日蓮正宗の五座三座の勤行は、制定当時、将来にわたる様々な状況をおもんぱかった上で、勤行としての必要な要件を満たす形で定められたものであることが理解できよう。ところが創価学会は、各国SGIの要請≠ニやらを理由に、五座三座を廃止してしまったばかりか、事の一念三千の御本尊を秘沈している寿量品の長行まで、削り捨ててしまったのである。
日蓮大聖人は、「此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり。(中略)されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給ふを破し奉るなり。唯相構へ相構へて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし。心の師とはなるとも心を師とせざれとは六波羅蜜経の文ぞかし」
96 お菓子部長
これって、何かの教科書に載ってる文章を丸写ししただけでしょ
97 お菓子部長
自分の言葉で解りやすく、説明してください知識の自慢話じゃないんだから…
98 頭籐元気
>>95
実に稚拙な誤魔化し。

宗門の勤行式(昭和16年8月22日付 院達2167)を入手しろよ。

恥ずかしくて>>95は書けないよ。
99 頭籐元気
>>98
現代文を駆使してかいたんですがね・・・・
100 頭籐元気
>>95>御歴代上人の権能に収まる事柄。
これが日顕宗なのよ。
つまり法主は大聖人を超えるってやつよね。
法主本仏なのよ。

日寛上人は勤行の功徳について、「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり(観心本尊抄文段)」と、言ってるよ。

だから寛師は正しいの言ったのよ。