1 名無しくん

牧口氏靖国参拝

今日の学会では、この時の真相を歪め、好き放題に美化して、「牧口会長は、軍国主義に屈せず、徹底して天皇制や戦争に反対したため、弾圧を受けた」だとか、「宗門は国家神道に屈して謗法まみれとなったが、牧口会長は謗法厳戒の教えを守って神札を拒否し、そのために弾圧を受けた」などと宣伝しているが、それは全く事実と反している。
まず、「牧口時代の学会の反戦性」ということについては、昭和17年12月31日発行の『大善生活実証録』(創価教育学会第5回総会報告)を見ると、なんと、総会で軍歌が歌われているばかりか、西川理事の発表の中で、「いまや、皇国日本が北はアリューシャン群島方面より遙かに太平洋の真ん中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に将又蒙彊満州に至るの広大な戦域に亘り、嚇々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐らくが戦場精神によつて一丸となり、只管に目的達成に邁進しつゝあることは、すでに皆様熟知されるところである」等と述べている。また『人間革命』(妙悟空こと戸田城聖の初版)によれば、このころ牧口氏は、「国家諫暁(こっかかんぎょう)だね。陛下に広宣流布の事を申し上げなければ日本は勝たないよ。これを御本山に奏請して、東京僧俗一体の上に国家諫暁をしなければ国はつぶれるよ。並大抵でない時に生まれ合わしたね」等と教えていたのである。さらに牧口氏は、後の獄中書簡の中で、「洋三戦死ノ御文、(中略)病死ニアラズ、君国ノタメニ戦死ダケ名よトアキラメテ唯ダ冥福ヲ祈ル」とも述べている。
これらを見れば、一目瞭然であろう。要するに牧口氏等は、当時の国民の大多数と同じく、「反戦・天皇制反対」などという意識は持ち合わせておらず、むしろ「皇国日本」を戦争に勝利させるために国家諫暁・広宣流布を行おうとしていたのである。
2 名無しくん
また、「牧口氏の謗法厳戒」ということについても、牧口氏は「吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さった、有り難うございます』というお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。もし『あゝして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは、恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。
3 名無しくん
天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つてゐるのである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば、吾々は、神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。(中略)天照大神のお札をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。また、これが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である」『大善生活実証録』と述べている如く、牧口氏自ら謗法の靖国神社へ参拝していたのであり、また、牧口氏が天照大神の神札を拒否した理由も、「天照大神の諸神は現人神たる天皇の身に一元的に凝集されており、その他に神札を祀れば二元論となって矛盾を生ずる」という、牧口氏独自の神道観に基づくものに過ぎなかった。
つまり牧口氏は、日蓮正宗の「謗法厳戒」の信条を守り通したというよりは、学者でもあった氏自身の神社観・神道観を自ら真理と信じて頑固に貫いた、いうのが実際だったのである。
これらのことからも、今日の学会のデマ宣伝が、いかに異常極まりないものか、よくわかろうというものではないか。
「神札拒否を貫き殉難」の真相
さて、牧口氏は、「皇国日本」を戦争に勝たせるため、強く国家諫暁を主張するようになり、併せて、氏独自の神道観によって神札消却を強調した。これによって創価学会は、治安を乱す恐れありとして、官憲から厳しくマークされるところとなったのである。
4 名無しくん
昭和18年6月5日、東京・中野の一学会員が、近所の人の子供が死んだのを、頭から「罰だ」と決めつけて折伏したことで、怒った相手から訴えられ、特高警察に逮捕・拘留されるという事件が起きた。
特高では、この事件を機に、かねてマークしてきた創価教育学会員を一気に壊滅せしめる意思決定をし、逮捕した学会員を激しく取り調べて、学会弾圧の「罪状」作成にかかったのである。まさに、学会弾圧は秒読みの段階に入った、と言ってよい。
このような事態に最も困惑されたのは、日蓮正宗宗門であっただろう。なにしろ学会が、いかに信仰的には絶縁一歩手前の状態とはいえ、形の上ではいまだ日蓮正宗信徒の集まりという立場をとっている以上、弾圧は日蓮正宗をも巻き込んで起こる可能性すらあるのだから。
そこで、総本山大石寺では、6月20日、牧口・戸田両氏を呼び、注意を与えることとなった。
当日、その場には、大学匠として名高い御隠尊日亨上人と62世日恭上人の両上人が立ち会われ、庶務部長・渡辺慈海師より、牧口・戸田両氏に対し「伊勢の大麻を焼却する等の国禁に触れぬよう」注意がなされ、意外にも、牧口氏もこれに素直に従ったことが、日亨上人の御允可された記録「宗学要集九巻431頁」に記されている。
この時の宗門の注意は、非常事態下においては、必ずしも神札を消却しなくとも、祀って拝んだりしなければ、一時、許容されるであろう、との判断(むろん、平常時にまで無制限に適用されるものではない)の上から、これ以上、いたずらに当局を刺激して無用な弾圧まで引き起こさぬように、との配慮でなされたものであった。
5 (≧▽≦)ゞ
文章の長さに悔しさが伝わってくるニャ。
もし、群狐の作り話が本当ならば、こんなところに書いて吠えないニャ。
堂々と広宣局のメンバーに連絡して、現場を持つニャ!
いよいよ、にっちもさっちも行かなくなって、カバチたれてるニャ!
(≧▽≦)ゞ

『大聖人に慈悲はないのか?』の書き込みに失禁のこころよ!
6 名無しくん
今日、これを理解しえず、なんとしても日蓮正宗宗門を「謗法容認」と罵ろうとする池田教の狂信者も多いが、要するに仏法においては、「随方毘尼」「四悉檀」等といって、やむなき時代性や地域性に応じて、暫時、法義に違背しないギリギリの範囲内で、その言動を緩和することが許容されているのである。
さらに付け加えておけば、大聖人の御書中には、"比叡山延暦寺で法然の撰択集を消却した"等の御記述はあるものの、"いかなる場合であれ謗法の物は消却処分しなければならない"等の御教示は存在していない。
それでもなお、この時の宗門の判断を指して「謗法容認」だのと罵る輩は、もはや言葉も道理も通じない最悪の狂信者、と断ずる他なかろう。
ともあれ、大石寺より下山した牧口・戸田両氏は、応急の対応策を講じた。それが6月25日付けで学会内に出された「通牒」だったのである。

もともとの出所は稲葉荘(いなば・さかり)氏(学会の初代総務・稲葉猪之助氏の子息
通牒は発せられたが、官憲の側では創価教育学会壊滅の方針で罪状を作り上げてしまっていたから、この「会長の応急策もすでに遅し」(「宗学要集」九巻431頁)、7月6日、牧口氏は旅行先の伊豆で逮捕され、続いて戸田理事長ほか21名の幹部が相次ぎ逮捕されたのである。
後に掘日亨上人は、この戦時下の学会弾圧事件を『富士宗学要集』の法難編に「第13章昭和度の法難」として加えられているが、同法難編の冒頭の文に、「顧みるに法難の起こる時、必ず外(宗外)に反対宗門の針小棒大告発ありて其の発端を発し、内(宗内)に世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行の門徒ありて、(内外の)両面より官憲の横暴を徴発するの傾き多し。本編に列する十余章(の法難も)皆、然らざるはなし」(「宗学要集」九巻247頁)と指摘されている。
7 名無しくん
まさに、学会弾圧は、国家神道中心のファシズムが世を支配している異常な状況下で、「世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)する似非信行の」言動に走った牧口氏以下学会員達の行きすぎた言動(神札焼却の強調や、四悉檀を無視した強引な罰論等)が、いたずらに招き寄せた弾であった、という他はない。少々酷な言い方をすれば、自業自得の誹りは免れない、ということである。
異流儀めざした牧口氏----獄死は「誹謗の罪」さて、弾圧時の牧口氏の信仰の中身はどうであったかというと、ここに驚くべき資 料が存在している。それは、逮捕後の牧口氏に対する特高警察の尋問調書である。その中で牧口氏は、「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於いて宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」として、純然たる日蓮正宗の教義に沿った修行はしたくない(言い換えれば、日蓮正宗の教義を自分流に曲げていきたい、ということ)、また、日蓮正宗の信仰
8 名無しくん
この牧口氏の主張には、さすがに未入信の検事すらも不審を感じたらしく、「創価教育学会の信仰理念の依拠するところは、日蓮正宗に相違なきや?」との質問をしている。これに対し牧口氏は、
「会員は悉く日蓮正宗の信者として、常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺において授戒して居りますが、創価教育学会其ものは、前に申し上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」などと答え、重ねて、「学会は飽迄も日蓮正宗の信仰を私の価値論と結び付ける処に特異性があるのであります」と強調しているのである。
なんたることであろうか。要するに牧口氏は、正宗の信仰を自身の価値論に結び付けるところに日蓮正宗とは大いに異なる学会の特異性がある、として、学会そのものを一個の独自な在家宗教団体として意義付けていたのである。
これでは、日蓮正宗は学会を成立させるために利用されていただけであり、もし、この弾圧がなかったならば、行き着くところ、学会は実質的に牧口教となっていたことは間違いない。
また、これを見るならば、今日の池田創価学会が長い間、日蓮正宗との二重形態をとりつつ、あくまでも日蓮正宗とは異質の新在家教団(池田教)を指向してきた原体は、すでに初代会長・牧口氏の行き方の中に萌芽していた、と言わざるをえないのである。
結局、投獄された牧口氏は、一年有半を経た昭和19年11月18日、獄中に死去し、その一生の幕を閉じた。そして、牧口氏の一番弟子であった戸田理事長は翌年7月、釈放されたが、創価教育学会は半ば壊滅同然の状態になっていた。
9 (≧▽≦)ゞ
ホウボウは

メッ

パッチェロゲーニャ君、このスレ内のあたしのレスを読んでね。

面と向かって戦えないのなら、挑んでくるなのこころよ!
10 名無しくん
こうして、学会に対する官憲の弾圧は終わった----。が、しかし、牧口氏の中に根付いていた異流儀思想の実態や、日淳上人に対する誹謗と背反、偏った布教の在り方等々を知る時、これを、純然たる日蓮正宗信仰を貫いた結果の法難などと呼ぶことはとうていできえない。『佐渡御書』には、「善戒を笑えば、国土の民となり王難に遭う。是は常の因果の定まれる法なり。日蓮は此の因果にはあらず。法華経の行者を過去に軽易せし故に、法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね崋山に崋山をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を、或は上げ或は下して嘲弄せし故に、此八種の大難に値るなり」(新編御書582頁)と仰せられ、投獄されたりするのは法華経を持つ人を誹謗した罪、と明かされているが、獄中にあっての戸田理事長は、このご金言を厳しく我が身に引き当てて読まれたのであろう、「堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる、と話してください。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身にみる』と言っております、と」(前出「獄中書簡」)と述べて僧誹謗の重罪を懺悔し、さらに牧口氏が獄死してしまったことについては、やや曖昧に、「牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう」『創価学会の歴史と確信』と述べている。仏法の因果の厳しさ、不思議さに、慄然とさせられるではないか。また、これら獄中書簡等を見る限り、ひとり戸田理事長だけは、師たる牧口氏の謗法に気付いていたものと思われる。現に、出獄の二日後(昭和20年7月5日)、戸田理事長は、「足を引きずりながら歓喜寮を訪ね、日淳上人に対して『申し訳ありませんでした。二年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました』といって平身低頭、深くお詫び申し上げ、さらに『これからは何もかも、お任せしますので、よろしく頼みます』」(日淳上人夫人の証言)と固くお誓いしたという。