1 戦争容認=殺人=創価学会

またまた牧口常三郎

牧口氏軍事教練を高く評価

なぜなら牧口は、その教育方法に特殊な着想はもっていたものの、国家、軍国主義体制との関係で言えば、「忠君愛国」「盡忠報国」を子どもに植え付けることを推進する体制迎合の一般的な教育者に過ぎなかったからである。
実例をあげよう。牧口は二・二六事件のあった昭和十一年に、「『光瑞縦横談』と教育・宗教革命」という論文を執筆しているが、そこで文部省が教育現場において「軍事教練」を義務づけたことを、「大でき」だと次のように高く評価している事実がある。
「最近、文部省が軍事訓練を課したるは、近ごろの大できである。......何という、今の非常国家に適切の忠告であろう」また、これに先立つ大正元年には、「教授の統合中心としての郷土科研究」という論文の中で、子どもに「忠君愛国」「盡忠報国」の概念を徹底してたたき込むべきだとこう主張している。
「わが国においては国および国の首長たる天皇は、まったく同心一体と申すべきで、君に忠を尽くすのはすなわち国を愛する所以であるということを十分子供に了解させておかなければなりません」
ここには「国」に優先して「個」を大事にし、国家よりも子どもの幸せを優先するという考えは微塵もみられない。まして「軍事教練」の義務化を賞賛する牧口に、軍国主義に反対する思想があったとはとうてい言えない。
こうした牧口の宣揚と軌を一にする形で創価学会は、牧口が率いた戦前の創価教育学会は、「侵略戦争・軍国主義」に抵抗した「反戦平和」団体であり、それゆえ創価教育学会の系譜を継ぐ創価学会は、戦前・戦後を通じ一貫して平和主義の旗を振ってきた「日本最大の平和勢力」などと自己宣伝を繰り広げている。
例えば平成十一年五月発行のSGI(創価学会インタナショナル)グラフ掲載の、「1945 初代・2代会長は、軍部国家主義と戦った」との見出しがついた記事には次のようにある。
「国家が強権で民衆をおさえこんだ時代。創価学会牧口初代会長は、国家主義にかたよらない、世界市民の育成を訴えた。侵略戦争に反対し、信教の自由のために苦闘した。