1 *俊(法華講)◆692T

日蓮の教えって何?A

>>>793
たか氏『日蓮の教えって何?』第Aです。
92 *俊(法華講)◆692T
では、明日にでも。
m(_ _)m
93 名無しくん
>>87
たかさんは過去に説得出来れば入信すると言ってます。
俊さんの行為は強制にあたりません。
宗門に強制勧誘する人がいるならば、その人の名前と所属を聞いて、寺院に報告してください。
勧誘しないって言われたり、強制勧誘してるって言われたり…
どっちなんだ?(笑)
94 たか
>>92よろしくお願いします。日蓮仏法と対比しながら批判して下さるとわかりやすいです。
>>93おっしゃる通り俊さんや名無しくんに強制された事はありません。
95 名無しくん
創価バトル疲れた。
組織的盗聴集団と認めさせただけで十分な成果です。周りからやりすぎとの声が出てるからこの辺で止めておきます。
ご迷惑掛けた事をお詫びするとともに、援護ありがとうございました。
96 すいか
お疲れ様でした
97 名無しくん
スイカさん援護ありがとうございました。
98 すいか
援護なんてしてないですよ。自分の意見を言ったまでです。
99 *俊(法華講)◆692T
たか殿>
一言に集約して、生命の実相というもの。これは、『病は気から』のごとき自己暗示と瞑想法にすぎません。
物質も肉体も心もないと説く物心両面の否定は文明や人間であることも否定しています。
以下宗門の見解です。
生長の家では、“常住不変的なものを実相”“有為転換する無常の姿を現象”としていますが、法華経では、裟婆即寂光の理からすれば、無常も常住も、いずれも実相であり、法華経では、諸法の実相、あるいは中道の実相とは言っても、現象に対する形での実相の文字等はありません。
即ち、あらゆる現象(実際に形をとって現れる物事。)は実相(物事の実際のありさま。実情)だからなのです。
日蓮大聖人は、『心の師とはなるとも心を師とせざれ』と仰せです。
これは、簡潔に申せば、我々の日常生活は、煩悩執着の心が中心となり迷います。
然し、その迷いの根本となる己の心を絶対視してはいけない。むしろその心を善導する師となるべきであるという御指南です。
唯物主義のような物質のみが実在するものであるとして、精神や意識などもそこから導こうとする考えに陥り唯心にも偏らない中道の思想が仏法の正しい哲理だと日蓮大聖人仏法は説いています。
100 すいか
相変わらず難しいなぁわかるようでわからないので、新スレ立てときます