けいじばん


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Name セレーネのためいき
その後、明治維新に際して廃仏毀釈ということが行われて、仏は神様の下に位置するものという考えが強制されたのですが、それから80年もしないうちに戦争に負けたせいで神道の信仰を禁止されるという憂き目にも遭いました。
140年ほど前まで、一体のものであった神と仏は、時代の波に翻弄されて、今普通に接している神様と仏様という形にとりあえず落ち着いている状態です。

私個人の考えでは、仏教が宗教として大成した最大の要因である救済の考え方を持った時点から、仏様は神様の一員になられたと思っています。
お経をあげようが蝋燭を灯そうが線香をあげようが、仏様が衆生を救いたいと念じられるその心は、慈悲深い神様の心と同じものだと断言していいんじゃないでしょうか。
歴史的な観点から、あれこれと紆余曲折を知っているだけに、民衆の心がくっ付いたり離れたりを繰り返しながらも、仏は常に仏であり続けた伝統は、それをしてすでに立派な日本の国教ではないかと・・・(笑)


またまた長くなってしまいましたねぇ。
手短にまとめる能力、授けて下さいませんか、神様・・・(^^;;
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 ReDel
Name セレーネのためいき
古来、貴族たちのものであった仏教は、性格上とんでもなく難しいインド哲学の集大成であるが故に、庶民にはまったく縁遠いものだったのですが、鎌倉時代に至って天才的な坊さんが幾人も登場して、ググっと庶民に近づいてきます。
管理人さんのご実家の浄土宗然り、我が家の浄土真宗然り、仏教史上最高の教えを自称する日蓮系然り。
その後ぐっと時代は下って、徳川幕府による宗教政策によって檀家制度というものが登場するに至って、日本人は皆、誰もがどこかの寺の檀家であることが義務付けられてしまいました。
そのせいでしょうか、江戸時代というのは神も仏も区別なく、神様に合掌したり、仏様に拍手を打ったり、神様に般若心経をあげたり、仏様に祝詞を奏上したり、大きなお寺に小さな社が祀られていたり、大きな神社に小さなお寺が建立されていたり、そもそも神と仏は一体のものだというのが当たり前でした。
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 ReDel
Name セレーネのためいき
そうやってようやく受け入れた仏教ですが、その後日本の伝統的な神様たちを凌駕していく過程で、「本地垂迹説」なるものが登場します。
曰く、八百万の神々は衆生を済度しようとする仏が、民衆に分かりやすく受け入れられるための方便の形であると・・・。
この説が広く流布されるに従って、人々の間に神と仏の垣根は有って無きが如しの状態になります。
ちょっと話は飛びますが、管理人さんは神社にお参りに行かれた場合、正殿で神様と対峙して合掌されますか?
本来、神様に対して合掌は必要のない行為でありまして、これはものの見事な本地垂迹説の成せるワザであります(笑)
時折、神社での参拝方法をまことしやかに吹聴しているテレビ番組を見ることがありますが、決して大筋では間違ってはいないのに変な違和感はありませんか?
二礼二拍一礼・・・。
それだけを教えていますが、では神様に願い事はいつするのでしょう?
本来、二礼は神様に対する畏怖の念を態度で表したものであって、自然と頭を垂れる素直な気持ちが形式化したものです。
それから二拍。
拍手を二度打つのは自分の存在を神様に知らしめる意味が有ります。
そのあと、直立不動の姿勢で神様に願い事なりご挨拶なりを申し上げ、最後に神の御前を退去する時にもう一度頭を垂れるのが一礼です。
神様の前では直立不動で、願い事に際して頭を垂れることも合掌することも必要ありません。
日本人は習慣で、つい神様にも合掌してしまいますが、それは仏様に拍手を打つのと同じくらい「おかしな」ことなんです。
実は、江戸時代には仏閣で仏様に拍手を打つことは自然と行われていたといいます。
これも、先に言った「本地垂迹説」の影響ですね。
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 ReDel
Name セレーネのためいき
さて、仏とは何ぞや?
というご質問ですが、これはまたとんでもなく難しいことをサラっとお訊きになりますねぇ(笑)
日本人がはじめて仏というものに出会ったのは、(この時点で既に2通りの説があるくらい分からないことだらけなんですが)西暦538年若しくは553年と言われています。百済からの国使がもたらしたと伝えられていますが、この教えを日本の国として受け入れるか否かで大戦争が勃発しました。
曽我氏と物部氏の争いで、結局崇仏派とされた曽我氏が勝利して、以後の国政を壟断するに至ります。
当時、天皇家と比較しても勢力財力いずれも遜色なかった物部氏が滅亡に追いやられた訳ですから、いかに人心と宗教の密接度が高かったか想像に難くないですね。
もちろん、これは仏教に名を借りた曽我氏の政略だという考え方も出来るわけですが、そういう部分を度外視しても見知らぬ宗教を受け入れる難しさというものを考えさせられますね。
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 ReDel
Name セレーネのためいき
私見ばりばりOKなんですね、承知しました(笑)

最近、こういう話題を共有できる友人・知己が減ってしまいまして、ちょっと寂しく思っておりました。
若い頃はみんな口角泡を飛ばす風に自分の思いのたけを語り合ったものですが、歳が歳なだけにみんな日々の暮らしに追われているのか、なかなか会う機会も無くなってきています。

さて、管理人さんは女性でいらっしゃるから男性優位の宗教には抵抗がお有りなんじゃないかと愚考しますが、仏教に限らず伝統的な宗教に女性を主たる救済の対象にしているのってあまり馴染みがありませんねぇ・・・。
遊牧民が信仰の柱にする神様というのは、やっぱり自然の驚異から家族や家畜を守ってくれて、広い牧草地を与えてくれる「慈悲深い」神様なんでしょうね、きっと。
遊牧民同士が牧草地を争ったり、家畜の数を劇的に増やそうとすると、これはやはり戦闘行為に及ばざるを得ないんじゃにかと思いますが、そういう場合の主役はやっぱり男たちであり、勝った側が得る戦利品には戦利品には家畜だけでなく女性も含まれていたと考えるのが妥当じゃないですかねぇ?
だから、アーリア系の神のみならず、エホバだって初めはとても荒々しい神様だったし、エホバと同じ神様であるはずのイスラムの神様はいまだに結構怖い印象がありませんか?
神という存在は、それを信仰する民族の集合意識の投影である以上、個々の神様の性格は信者の求める理想に近いものとして成立しているんだと思います。
上の繰り返しになりますが、だから人間と神との距離が今以上に近しいものであった頃に成立した宗教には男性優位の考え方が現れているんじゃないか、などと考えています。
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 ReDel
Name eika-k(管理人)
Re:セレーネのためいきさん
返信が遅れてしまってすみません(- -;;
なんかバタバタしてました;;

私見ばりばりOKです(^^;;このサイト自体、私見しか書いてないですから;;
アーリア人が遊牧民ってことはやっぱり遊牧社会だと父系になるんですかね…
農耕民族って母系って感じしますよね。
大地母神も母ですし。豊穣が出産と繋がるってのは当然なんでしょうけど。
ヨーロッパの父系社会の根っこもここらへんに原因がありそうですね。
仏陀がアーリア社会に生まれたのであれば、仏教が男性優位というのも当然ですね。別にそれは仏陀の責任でもなく、彼個人の差別主義というものでもなく、時代として当然のことで、人として生まれた以上、時代を凌駕することの方が難しいわけですから…
孔子やイエスの男女平等主義もその生育過程の影響はあるでしょうし、その点は思想として比較するものではないだろうと思いますが、その後に続く信仰に影響があるのは仕方ないかもしれないですね…って、イエスの場合、弟子の影響の方が大きくなってますが…

仏教にお詳しいセレーネさんとしては仏というのはどういうものだとお考えでしょうか?
要するに神と捉えるのか、という点です。
日本人だと神と仏は分けて考えますが、宗教的な信仰の対象という意味では、本質的に同じと考えていいものかどうか。やっぱり日本人だと違うだろうという気がするんですが、どう違いかと考えると、ぼんやりと曖昧になってしまいます;;
私見で結構ですので、教えていただけると有難いです(^^)
またここ覗かれた時で結構ですので(笑)よろしくです☆
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 ReDel
Name セレーネのためいき
だから、アーリア人の支配の元に成立したインドの宗教は父系社会の臭いをプンプンさせたものとして、女性蔑視男性優位の色合いが濃く出ているんだと考えられます。
あのお釈迦様をしてさえ、十大弟子に女性は一人もいませんし、女性に対する言及は非常に少ないです。
その伝統を非常に非常に非常に色濃く残した仏教が女性の成仏を否定的に捉えていたとしても不思議はありません。
後の大乗仏教の経典に法華経というのがありますが、この中には驚くことに女性が成仏するためには男性に変身しなければいけないという件があって、「変性男子(へんじょうなんじ)」という言葉を生み出してしまいました。
ってことで、仏教の女性観には自然崇拝など微塵も見られないわけであります(苦笑)

自然の流れというべきか、仏教という宗教が拡大していく過程で様々な要素を取り込んでいくのは当然の帰結ではありますが、観音菩薩という大きな大きな要素は結局未消化のままで、現代人からすれば性別の分からないお方になってしまった、というのはどうでしょ?(笑)

あくまでも私見ですよ、私見。
ね?
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 ReDel
Name セレーネのためいき
このアーリア人がどうも父系社会を形成していたようで、インダス文明の故地で放牧などを行って徐々に勢力を拡大していったと考えられています。
世界史の教科書にアーリア人の侵入と書かれているので、壮絶な戦闘が繰り返された後にアーリア人が覇権を握ったものと学生時代は勝手に思っていたのですが、事実はどうやらそんな剣呑なものではなくて、農耕には適さなくても放牧には問題のない土地を勝手に使い始めたというのがホントのところらしいですよ。
で、父系社会と母系社会がその後交易したり反目したりするうちに、アーリア人の方が放牧に適した土地の独占を目論んでインド全体に一気に拡大していったのではないでしょうか。
一定の収穫が見込めて灌漑や測量を必要としない集団と、家畜の数が増えるとともにより広い土地を必要とする集団がぶつかったら、そりゃ勢いの違いは明らかですわね(笑)
こうしてインド全体に拡散していったアーリア人が持っていた信仰が、後にバラモン教となり、各地の先住民たちを支配する過程で成立していったのがカースト制度だろうというのが、これもまた通説です
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 ReDel
Name セレーネのためいき
正月休みなもんで、時間が有り余っております(笑)
いつまで管理人さんと掲示板のやりとりが出来るのか分かりませんが、とりあえず『私見』を述べさせていただきますね(^^)
あくまでも「私見」ですから・・・。

古代インドで母系社会が父系社会に転換したのは、他のどの文明よりもハッキリした証拠があるでしょう。
インドで起こった古代文明としては、インダス文明が有名ですが、この文明は氾濫農耕を基本としていたので、毎年ある程度以上の収穫が見込めた点で他の文明と共通する部分が有るのですが、遺跡として今日まで残っているモヘンジョダロやハラッパーなどの規模は、メソポタミアの古代遺跡と比べても格段に小さかったようです。
インダス文明の立役者はドラヴィダ人だと推定されていますが、この時点では母系社会が形成されていたというのがほぼ共通の認識となっています。
その後、モヘンジョダロなどの古代都市が、通説の如く周辺の森林を伐採し尽して放棄されるまで、大らかな文明を謳歌していたようです。
モヘンジョダロやハラッパーほどの規模は持たなくても、インダス川の雪解け水による氾濫は流域の各地に恩恵をもたらしていたので、その後もドラヴィダ系の人達があちこちに散らばって農耕社会を形成していたのは間違いありません。
ところが、インダス文明(モヘンジョダロ)の消滅から300年ほど後に、大きな変化が訪れました。有名なアーリア人の侵入ですね。
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 ReDel
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