
sakutaro
アパートの時計
私は、午後9時きっかりに彼女の部屋を訪ねるのを日常とした。
アパートと言っても昭和初期に建築されたものらしく木材なども良いものが使われて
居り、煉瓦を基調とした洒落れたものであった。玄関はフロントのようになっていて
アパートの所有者である上品な老婦人が
いつも、眼鏡をはずして挨拶してくれるのである。ロシア文学が趣味であるらしく
キリル文字の本を読んでいた。
私は、ロシア語は読め無いけれど、ツルゲーネフやチェホフ、プーシキン、などの人名を解読することくらいは出来た。
玄関の上に時代ものの時計が架かっており
たいてい、午前0時を指していた。
彼女の部屋の時計も、0時である。
ここで年を越した時なぞ、一斉に、部屋
の住人が喚声をあげるので、わたしの腕時計なぞは困ってしまうのであった。
普段は、3時間ほど居て、別れのキスをする。従って、私は最終の電車に乗る事が
出来た。駅の時計は午前0時10分なのである。わたくしの腕時計も、、
日常的に、このアパートの時間は3時間、先取されているのであった。
いつも不思議な幻覚を感じた。彼女はアパートの外に出る事が無いらしく、私の土産で食べていた。その頃、外国為替に熟知していたらニューヨークの相場で大儲け出来たのであったが。
たった3時間であっても時間を先取りする
事は、その後の私の人生に「罪と罰」を与えた。老婦人の読んでいた本の中には、
ドストエフスキーは無かったように思うのだが。私の書棚には有った。
罪を自覚した者だけが罰を受ける。あのアパートには罪の意識は無く今も存在しているのを先日、確認した。