11 メロン大好き『糖尿病池田強姦作』
三大秘法義の実体とは、日寛上人が『文底秘沈抄』に、「一器の水を一器に移す」と御指南の「蓮師の心月」であり、唯授一人金口嫡々の法体である。この法体は大聖人以来、代々の上人の胸中の肉団に秘して持たれるところであり、文書によって公開≠ウれるような次元と異なる御内証の深義であることが、邪信邪念の創価にはどうしても領解できぬらしい。このことが領解できなければ、汝らが僧宝の一分になりうる≠アとなど絶対にないのである。今の私たちは、信仰の本質的次元において、法主とまったく対等な立場にいる≠ネどと述べることは、身の程を弁えぬ逆路迦耶陀の慢言であると断ずる。我らが僧宝の一分に成りうるか否かは、御法門の公開未公開によるのではない。大聖人よりの唯授一人金口相承により大聖人の御法魂を御内証に具えられた御法主上人に信伏随従して、正しく信仰に励むか否かにある。したがって、その筋道を無視して、すべての信仰者が僧宝の一分になりうる¢カ在≠ネどではけっしてないのである。さらにいえば、本宗の僧俗は、御仏意に適った正しい信仰を実践しているゆえに、僧宝の一分になりうる¢カ在ではあるが、血脈付法の御法主上人に背逆する創価学会員は、僧宝の一分になりうる%ケ理など微塵もないことを告げておく。