94 お邪魔します。
ネットで激しい表現を使う人みんなが、現実世界でも乱暴なわけではない。ネットは人を攻撃的にする面をもっている。それはなぜか。まず、ネット上の「匿名性」がある。心理学の実験によれば、人は自分の名前が知られず、罰を受けないときには、乱暴になりやすい。現実生活では、刑罰を受けるかもしれないし、殴られるかもしれない、仕返しされるかもしれないと人は恐れる。だが、ネットでは匿名性というヨロイを着ることができる。文字だけの世界また文字だけのやり取りは、情緒よりも理論が協調されやすい。相手の発言の隅々まで見て、反論したくなる。反論された人はさらに再反論したくなる。文字の世界ということでは、手紙も同じだが、手紙はメールよりも手間と時間がかかる。その間に、次第に激しい感情も収まり、手紙を書き換えたり、結局投函しないこともある。メールは、その場で書き、そのまま送信ボタン一つで相手に送ってしまう。マスコミへの意見も、手紙よりもメールの方が激しい批判が多いようである。悪意を感じてしまうそして人は、自分が見たいと思うものを見る。たとえば、悪意を持った相手からのメールは、悪意あるもののように感じてしまう。相手の気持ちを考えるためのヒントが少ないだけに、想像力が発揮される。こうして悪循環が始まれば、憎しみが増し加わり、非難と皮肉だらけのメール攻撃がなされるのである。乱暴な攻撃をしている人を他人が見れば、その乱暴者を悪と見るだろう。しかし、多くの場合、その当人は自分を「善」だと思っている。いろいろな場面で悪人どころか、むしろ「正義の味方」として現れて、自分からみた悪人、不適切な人間、どう見ても間違った(と思い込んでいる)発言に対して、激しい攻撃をする人間がいる。もちろん、実際に正義の味方が悪人を懲らしめている場合もあるだろう。だが、自称「正義の味方」もたくさんいるかもしれない。さて、こんな正義の味方に見込まれてしまうと大変だ。異論、反論はもちろんのこと、賛成できる内容に対して出さえ、もっとこうすべき、もっとこういうページも作るべきと、次々と要求を押し付けてくる。