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3時6分。スタンドの異変に気付いた審判が試合を止める。そして、ようやく扉が開けられ、強い圧迫を受けていたテラスの人々が次々にピッチへと降ろされる。選手たちも、呆然と事態を見つめながらロッカールームへと引き返した。

 残されたのは、白目をむいた人々の山。女性や子供はもちろん、頑強な体躯をした男性もフェンスの裏側で倒れていた。

 元気な人々が手分けをして倒れた人々をピッチへ運び出すが、医者も全く足りない状態。何をしたらよいのか分からずに佇む人の目は、完全に戦場を見つめるものと変わりなかった。広告シ板を担架代わりにして必シに犠牲者を運び続けるものの、目の前の人が生きているのかシんでいるのも分からない。家族や友人が息絶えているのを見て、泣き叫ぶだけとなる人の姿も決して少なくはなかった。

 救急車の到着は遅かった。医療スタッフもなかなかやって来なかった。
スチュワードと警察のコミニュケーション不足から、惨事の大きさが正しく把握されていなかったのだ。ゴール裏の扉を開けることで試合開始が遅れることを気にして、迅速な処置を怠ったのは、非常事態であることを正確に伝えていなかったため。運営体制に落ち度があったのは明らかであった。
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 その上、救急体制の不備も犠牲者を増やす要因となった。多くの救急車が早く到着し、沢山の医者が駆けつけていたならば、救えた命も数多くあったと言う。

 しかし、余りにも多過ぎる犠牲者。手を施せるのかどうかを、見極めることさえ困難な状態となっていた。

 結局、その場で帰らぬ人となった者たちに加え、病院などで息を引き取った者は合わせて95人に及んだ。怪我人の中には内臓の破裂により大手術を受けた者から、フェンスで指を失った者もおり、医療関係者に手当てを受けた者だけで200名を超えていた。

 狭いテラスに収容不可能なほどの人が殺到したことで起こされた惨劇。これはチケットの割り当てに原因があった。リバプール側に用意されたチケットは、2万4000枚。一方、ノッティンガム側へは3万枚ものチケットが回されていた。当時の平均観客動員は、リバプールが4万超だったのに対して、ノッティンガムは2万弱。これでは、需要と供給に大きな差が生まれて当然。

 ノッティンガム側でチケットが余ったことから、リバプールへと流れたチケットが多かったことに加え、ノッティンガム側のチケットでリバプールのスタンドに入っていた人もいたことが、混乱に拍車をかけた。

 とはいえ、未曾有の惨事を誘発した最大の要因は、テラスで起こっている事態を的確につかめず、対応が遅れたこと。サンデー・タイムズ紙はヒルズボロの悲劇を「人災」であったと断罪し、観客の安全を最優先に考えなかったことが多くの犠牲を生んだと非難した。
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この年のFA決勝戦は延期され、リバプールがマージーサイドの宿敵、エバートンを破って優勝。命を落とした数多くのファンに優勝カップを捧げたが、同様に延期されたリーグ戦では、信じられない幕切れでタイトルを失った。最終戦をホームのアンフィールドで迎えたリバプール。後を追うアーセナルには0-1で負けても優勝となる条件下にあった。それがロスタイムに入って0-2とされるゴールを許し、奇跡的な逆転劇を許してしまったのである。

 ヒルズボロでの悲劇。そして、この敗戦を機にリバプールの黄金時代は終わりを告げ、長き眠りの時代へと入っていった。

 ヒルズボロで起きた事件は各方面に大きな波紋を呼び、1990年にFIFAは以後のW杯で全席指定のスタジアムでなければ、会場として認めないという規則を作る。

 また、英国内では最高裁判事ピーター・テイラーが、スタジアムの現状に係る問題点と改善内容等について104ページに渡る報告書を作成。
 1990年1月29日に「テイラー・リポート」として発表した。

 ここで収容人数が正確に守られず、観客の安全を保証できないテラスの廃止が決定。スタジアムにおける全席を個席タイプにすることが決定された。やむを得ずフェンスを設置する場合は、取り外し可能なタイプのみとされ、そこにもピッチに出られる場所をフェンス内外に大きく明示することや、扉に鍵をかけてはいけないことなどが盛り込まれた。

 スタジアムの改修にあたっては、フットボール基金から援助が出るものの、その多くはクラブ側の自己負担。さすがに脆弱な財政基盤しか持たず、観客動員力も持たない下部のクラブに対しては即時の改修実行が免除されたものの、上の2つのディビジョンに所属するチームに対してはこれが義務づけられ、改修期限も守るように通達が出された。
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現在のプレミア・リーグには、テラスを持つクラブは存在しない。
唯一、稲本も所属するフラムだけが、例外的にテラスを残したままプレミアに参戦したが、現在は本来のホーム、クレイブン・コテイジは改修中。QPRのホーム、ロフタス・ロードを間借りしているのも、よく知られている。

 世界でも屈指の快適さを誇るようになったイングランドのスタジアム。
プレミアリーグの創設と共にテイラー・リポートの効力が、フーリガンの悪評により減少の一途を辿っていた観客動員数に歯止めを掛け、大盛況の今日を形成して来たことは、言うまでもない。

 多くの犠牲を払って手に入れた現在の繁栄。
それはイングランド・サッカーの自浄能力が正常に機能していることを示すだけではなく、スポーツの社会的な地位向上にも寄与する結果を生んだ。

 英国の書店ではテイラー・リポート以前以後とスタジアムの写真を並べ、その改善状況を示した本を見ることができるが、それはイングランドが観客の安全とサッカー観戦の未来をどのように考えていたのがよく分かるもの。
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また、テイラーリポートではピッチへの不法侵入や人種差別的野次の禁止となども明確に謳われており、社会的常識を逸脱したことは許されないという姿勢を強く打ち出している。

 ヒルズボロで失った魂が戻ることはない。だが、安全というスポーツ観戦における基本的な人権を守るために警鐘を鳴らした事件だと定義すれば、ヒルズボロは単なる悲劇という次元を超越する存在として生き続けるのである。犠牲者の家族だけではなく、全ての人々の心に・・・。

 現在、悲劇の起こったレッピング・レーン・スタンドは、コップ・スタンドと名前を変えている。アンフィールドのコップ・エンドに陣取ることからリバプールのサポーターがコップと呼ばれている訳だが、あの事件以来シェフィールドのヒルズボロにもコップの魂は眠っているのだ。
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