1 無名さん

信長についてとことん話そうよ。

信長っていう人は、論理的でしかも、天才的なひらめきがあるから、天下布武の成功の目前まで行けたのだろうと思う。
彼に足りなかったのは、人の心を読む力、老しては、足るを知る
という心境が分からなかったのだろう。隠居したい家臣には
領地をやって隠居させれば良かったのに、裸一貫で追い出すからかえって、叛旗を翻す輩が出たのだろうと思う。
自分の命を短くしたのだと思う。現に、生きている時はみんな信長を殿とあがめた部下はみんな、信長の子供をそろって粗末な扱いをした。ここが、徳川家との大きな違い。
徳川家はだめな殿でも、家臣が支えるシステムをすでに創っていたから、どんな将軍でも、部下から下克上は、絶対されなかった。中国の王朝は、基本的に易姓革命といって、だめな王朝は
滅ぼしても、人民を救うためなら良いという思想、
江戸時代は、儒学を重用して、秀吉の時代に刀狩をして、人民から武器を取り上げて、
江戸時代に士農工商という身分の固定化をしたから、だれもが
幕府を正面からひっくりかえそうという思想家はでなかったと思う。