スナック元バス高校/青春白書
過去ログ393
2008/9/29 14:40
▼まき久しぶりです!仕事がようやく落ち着きぼーっとしている今日この頃です。
お子VS親の仁義無き戦いっぷりが笑えます。
手術室の部屋の色は何故ブルーグリーンかというと意味があります。
それは赤(血)の補色だからです。つまり赤をじっと見つめた跡に白い壁に目を移すと・・・薄い青緑が見える。これは目が赤色に対してすごく疲れて赤を感じる感度が低下しておこる人間の生理現象。これを緩和するためには補色である青緑をそこかしこにおけばプラマイゼロ!。しかも残像が残ったとしても残像と同色の背景をみることで残像を感じにくくする、つまりスピーディーに手術ができる。
なので手術着も手術室も青緑なのだ。病室と違って手術室は手術する医者のために色彩計画がなされてるわけなのだ。
私もこの話を聞くまではなんで手術室の色ってあんあ殺風景なんだろうと思ってました。
9/29 14:40
▼nozaなんか、はたはたブルーにならないと良いのですが…。
手術室って、音楽かかってた?うちんとこは、変なジャニーズ系の曲だったと思う。生まれたとたんに「こんにちわ赤ちゃん」の曲に変わったのが笑えた。
そして手術室は、ブルーグリーンで統一されていて、「ああやっぱり、ピンクとか赤には壁の色はしずらいよな」とおぼろげに思っていました。
初めての時は、手術室ちょっとわくわくします。
手術室の先生(担当医は女性でしたが)は、ちょーかっこよくて、ほれぼれします。手術着もかっこよいし〜。
9/29 11:28
▼noza私んとこも!痛い時に、父母&夫で目黒駅ビル4階中華料理屋で紹興酒飲んでたそうな。
下の娘の時は、寿司取ったんだって。と上の娘が「ケーキみたいな(大盆でくるからね)の食べた」とこくる。ちぇっ!
9/29 11:21
▼こうたのははあ、そうそう、衝撃の話は後日詳しく聞いたところ、
「昭和天皇は病床でご飯が食べたいと望んだのに、ご病状的に無理です、と食べさせてもらえず、ああ食べたいと思いながら亡くなった、てことは餓死でしょ?」
という一休さんのとんちのよなお話でした。
9/28 22:54
▼こうたのはは帝王切開は、手術後の回復室でじわじわと痛みが来るのが辛かったです。しかもとりあえず無事に生まれた、と夫とわたくしの母が近くのenjoy天狗に祝杯上げてenjoyしにいってしまったため、
「わ、わたしが痛みに耐えているってのにあーいーつーらー」
とヒマなこともあり、筋違いの恨みがマグマのよに噴出。決して動いてはいけません、特に頭は動かさないほうがいいです、と念を押されていたのにも関わらず、ベッドをくるりと見渡して貴重品袋を手繰り寄せ、きよっぴの名刺を探しあててナースコール。
「この携帯番号鳴らしてすぐここに呼んでください!」とお願いして駆けつけさせ、
「痛くて大変だから気が紛れるお話をして頂戴!」
とふたりに命令。母は
「あんたは母になったっていうのにそんな我儘言ってどうするのよ!」
と呆れながらも、足マッサーをしてくれつつ、「昭和天皇は実は餓死だったのよ…!」という衝撃話をしてくれました。人とお話していると気が紛れて痛さも紛れました。てか、わたくし痛みに大変弱いみたいでエステでもいつも大騒ぎして『小さい怪獣』とエステティシャンさんにあだ名付けられてたのでわたしだけかも。
あと、麻酔がなかなかかからなかったのが結構恐怖でした。「まだコレ冷たいですか?」「じゃコレでは?」と手術の先生が待ち構えて並んでいる中、麻酔の先生は最後のほうは半笑いでした。「あんた効かないから我慢して」って言われたらどーしよーって思った。
あと、帝王切開だと子供は無言で生まれてくるよ。世間話してたら「はい、今生まれました」って見せられるの。アレには驚いたー。鼻と口に詰まっている羊水をチューブで出してもらってから産声聞くの。
9/28 22:46