「東南にある甲武信ヶ岳(2475m)の北側の尾根から突然大きなジエット機が姿を現した。飛行機は畑のほぼ真上を西方向へ通過。まるで石を投げたら当たる様な超低空飛行だった。真上に来た時(100m)は空が真黒になる様に感じた。千曲川に沿って西へ進んだが正面には扇平山(1700m)が迫っていた。右翼を下げて飛行機は約90度右旋回した進行方向には三国山がある」

「自宅上空でゴーッと凄まじい音がしたので家の前の河原に出て空を仰いだ南東の五郎山(2132m)を掠める様に見た事も無い程大きな飛行機が現れた。爆音は更に大きく成り飛行機は頭上で大きく右旋回し次に逆に左旋回したかと思うと急に機首を下げ扇平山と神立山(1978m)の交差する稜線の向こう側に消えた」

扇平山付近の「川上村第二小学校の上で右旋回し、ギューッと高度700〜800メートルへと機首をグッと持ち上げ、噴射の馬力で何とか上昇して行った」。



[タイトル]
あらゆる状況証拠から導く航跡図
(SP)
こんにちは。
ぼくはグーグル社長モリカワマサトモです!

[タイトル]
グーグル社長モリカワマサトモ
(SP)
8の字飛行とダッチロール飛行の言い換え技


乗務員証言@Aと目撃者証言Bから判る事。

@ややして、富士山が左側に見えたので羽田に戻ると思った。(左側窓際座席から)

*左側に富士山が見えるには焼津から右旋回する必要性。

A下方に富士山(3776m)が見える(高度4000m位)
夕方の黒い山肌が左窓前方に・・すうっと後方に移動し安全姿勢

*焼津以降を富士山の東側ルート飛行して実現可能です。安全姿勢は降下を始める際の姿勢で、逆時計回り終わる時点で見える。

所謂大月市ループ(時計回り)中の目撃者証言で・・・

B窓が一つ一つ確認可能

*低空飛行で2000m以下
[タイトル]
8の字飛行とダッチロール飛行の言い換え技
(SP)
あらゆる状況証拠から導く航跡図

[タイトル]
航跡図
(SP)
「自宅上空でゴーッと凄まじい音がしたので、家の前の河原に出て、空を仰いだ南東の五郎山(2132m)を掠める様に、見た事も無い程、大きな飛行機が現れた。爆音は、更に大きく成り飛行機は頭上で、大きく右旋回し次に逆に左旋回したかと思うと、急に機首を下げ扇平山と神立山(1978m)の交差する稜線の向こう側に消えた」川上村梓山井上 薫氏の証言。

18:54:00
「JAL123.JAL123.もし受信可能であればこちらは東京アプローチ.もし聞こえて居ればトランスポンダーで応答せよ」(ACC)

18:54:05 あったま下げろ
そんなのどうでもよい(CAP)
18:54:10 未だ出せない ?

キャベツ畑に不時着体制に入りますが、リモートコントロールにより車輪が出せず制御出来ず上昇に転じ
…。

18:54:31
アンコントロール (JAL123)
18:54:32
アンコントロール (JAL123)

18:54:40
「123了解しました」(ACC)

18:54:47
「JAL123.周波数を119.7に変えて下さい」(ACC)
[タイトル]
横田や入間基地と違い車輪が出ず
(docomo)
横田管制が、123便に横田基地への着陸を許可するのを聞いた。123便の緊急事態は相当に深刻で、当該乗員は米軍基地への着陸を希望したのだった。

米空軍C-130H(ハーキュリーズ)輸送機に乗務していたマイケル・アントヌッチ中尉(最終的地位大尉)が、退役後「サクラメント・ビー」紙に発表した証言。

「フラップどうしましょうか?」 (F/E)
「未だ一寸、早い」 (CAP)

「ギヤ降りてますか?」 (CAP)
「ギヤ降りてます」 (COP)

横田管制が、123便に着陸を許可するのを聞いた。(マイケル アントヌッチ氏証言)

「東南東より、西北西の御岳山の方へ」多摩郡日の出町細尾の北島清司氏(53)

日の出町から右旋回し、米軍横田基地(OKO/RJTY)の北側から着陸体制を取り滑走路に進入しますが、更なる遠隔操縦が襲う。

18:46頃
「何で下がんねぇの ? 」
機体が下がらず管制官に連絡。

「操縦不…以下不明瞭」(JAL123)

横田基地着陸失敗。諦めて入間基地(IATA/RJTJ)に不時着を敢行する為に向かいます。

123便が入間基地上空で、目撃された(朝日新聞社「日航ジャンボ機墜落」P.41)

リモートコントロールで、入間基地にも着陸は不可能。「ちょっと分からんなあ」 (CAP)
「はい」 (COP)

三芳町方面に飛行し、三芳町上空でUターンし、最終着陸体制に入ります。

埼玉県内 三芳町 極端な低空・低速で東武東上線の真上を通過し、北北西へ 「日航ジャンボ機墜落」

再び入間基地上空に到達し着陸し様と試みますが、機体は下がりません。コックピットクルーは羽田に機首を向け様としますが、機体は山岳地帯に向かわせます。相反する動きでジグザグに飛行し、北々西に機首が向けられ、左方向の御岳山にぶつける勢いでリモートコントロールされ右旋回させられ羽田から更に遠退いて行きます。
[タイトル]
リモートコントロール
(docomo)
横田基地の手前で航空機関士がオルタネート(電気操作の手動)に依り、一旦降ろされた車輪がリモートコントロールで機体内に収納(油圧機能回復し無いと格納は不可能)されて仕舞ったのでしょう。 入間基地に着陸を2回試してますが、グリーンギアは不可能でした。

通説によると、JAL123便は相模湾上空で垂直尾翼の半分以上が失われたとされ、それに伴い操縦に重要な役割を果たす油圧機能が失われて仕舞ったとされますが。
 
長野県川上村のレタス畑にも着陸態勢にありながら結果的に車輪が遠隔操縦され着陸出来ず、垂直尾翼が欠け、油圧が効かなかったと言う状態で右に90度の旋回が出来て居るという点。
 
長野県川上村における三国山方面への右へ90度の急旋回は垂直尾翼が完全な状態で付いていて、しかも油圧機能が正常に使える状態でなければ不可能な筈です。

手動で操縦が出来、飛行場に接地すれば後は通常の減速着陸操作(逆噴射)で停止して着陸OKですが・・・実際、殆どの飛行経路で、右旋回の後、左旋回して居り、正しくS字状の飛行を行っている。

右旋回時には左エンジンを噴かす。機体は右に旋回するが機体は同時に傾きます。傾くと機首が下がり、機首が下がり掛けたら、エンジンを一斉に噴かします。 と・・・エンジンは翼の下に懸架され、トルクが働いて上へ向く。・・と言う具合で機自体の傾きを回復させ様と機長は努力したのです。
[タイトル]
ギアダウン(グリーンギア)
(SP)
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事におけるJAL123便の元気な生存者が、日本の埼玉県警察の警察官(日本語で おまわりさん?)らの手により
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した

一方、救助に奔走したのは米国のみであった

[タイトル]
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事
(au)
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事では、
昭和天皇もご搭乗されているJAL123便が不時着し、全員 問題なく生存していたので救助を待っていたところ、日本の埼玉県警の警察官らを中心とした一団が襲いかかり、乗客乗員天皇陛下を虐殺した点が遺憾な状況と言えます。
木にくくりつけて焼き殺すなど、埼玉県警察らしい残忍な犯行で、大変いたましい事態がおすたか にて発生したのでした
[タイトル]
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事
(au)
天命の陳情さん、まだお元気で何よりです。日本赤軍にピースボート作ってもらった辻元が共産党にも政権入りたければ安保認めよ迫り、今や自民党顔負けの米軍依存になりました。
辻元後援会の重信らが2000年頃しょっちゅう中国行って作らせた在日中国国防動員が施行された2010年頃から、護憲派とやらが123便の真相究明に、青山透子という元客室乗務員使って乗り出しました。その論調は、自衛隊の誤射隠蔽した中曽根が悪い、自衛隊性悪説で、当日の爆破撃墜電話や、(中曽根氏は当日静養中で電車で123便のこと聞いたのを認めつつ)早く自衛隊機出した加藤紘一氏のことは不問です。また、元客室乗務員なのに、123便のお腹にあった赤いランプは車輪が下りた警告灯でなくミサイル誘導灯扱いです(何回目かに飛行機乗った時、そう言って周囲に笑われたことがあります)。
これを読んで、中曽根氏が墓場まで持っていきたい救助遅れの真相は米軍から納入前の無人機衝突隠蔽を、過激派の言うなりになった加藤紘一の後始末としてせざるを得なかったと確信しました。また、昭恵さんもこの123便真相探求グループに参加していて投稿を削除したこともあるようで、森友用地も、伊丹騒音問題で絡んでた過激派から、辻元が東アジア反日武装戦線市議に払い下げてあげたお隣野田中央公園関連で紹介されたのではと思いました。
今、123便の真相を明らかにしないと、日本は、2014年に加藤紘一や小林よしのりらと会ってからしょっちゅう皇太子と会うようになり天皇退位実現させた、国益要らない国境壊したい天皇家はセントラルパーク行け辻元の思う通り、テロリストの働きで占領されてしまうかも。123便の真相は、相模湾破片を護憲テロ左翼より先に引き上げさせ、昭恵さんと中曽根氏に参考人ででも出てきてもらうことです。遺族のみなさんで、実現させるべきです。
https://plaza.rakuten.co.jp/detox/diary/201509170001/
(PC)