あらゆる状況証拠から導く航跡図
「飛行機の後から流れ星の様なものが近くに飛んで行く」南相木村中島3人の住民の証言。
上野村の民宿に泊まっていた東京の会社員も「神流川上流の山あいがピカピカ(ミサイル弾がJAL123便に命中した時の閃光。ミサイルが空中で爆発するときは、ミサイルに装填されている火薬が一挙に爆発する為に、空気中の分子と猛烈に衝突を起こす。その際に空気と摩擦を起こし、丁度稲妻に似た放電現象が起きます。それが、ピカピカと目撃された閃光と考えられます)と二度光った」と証言。
JAL123便の最後の様子は、地上からかなり多くの目撃情報がある。墜落事故の翌日、8月13日の埼玉新聞の見出しは、「夕やみに“火の玉”」とある。埼玉県浦和市に住む住民と長野県の川上村住民は次のように言っている。
「マンションのベランダから西空を眺めていた処、突然雲の透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた」と埼玉県浦和市吉岡功治氏。8月13日朝日新聞朝刊。
乗客遺品カメラ9枚目から、オレンジ色が続く。
故小川哲氏のカメラ撮影10枚目「画像に光のようなものが、走り被写体が不明」
(朝日新聞1990年10/14付朝刊)
「この直後2、3回急激な上下動をしたかと思うと」(生存者吉崎 博子氏証言)
*前後方向加速度0.25G前向き外力60tはこの時)
生存者証言=体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどと言うものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動は、ありませんでした。落合 由美氏
後者の証言は、前後方向加速度・前向き外力と一致する。
「胴体から煙を噴きながら超低空で東北方角へ飛行」南相木村栗生主婦。
「川上村の人達は、飛行機は北東の方へ炎をあげて飛んで行ったと話している」北相木村菊池村長。
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あらゆる状況証拠から導く航跡図