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1985年8月11日には、大阪→千歳→羽田→福岡→羽田空港と4便
飛びPM21:40から8時間約10人が徹夜で整備。
毎日新聞記事(1985-8/20)
リモートコントロール受信装置
取付。(123便は操縦輪の人力とリモートコントロール電波との格闘)
18:12:10離陸テイクオフ(前後方向加速度3G)
18:12:30.800feet(23.4m)通過
18:12:35機首方位180度指示
18:15:55機首方位200度 (事故調査委員会報告では18:18) ニューヨーク報道 「離陸3分後問題発生
(18:12から15迄は順調に推力や高度も上昇。浦賀水道付近からは飛翔体を発見、機内騒然)
18:16:22「日航123便SIDコース(URAGA6DEPARTURE→SAGARA.TRANSITION。後でSEAPERCH直行へ)の2マイルより右寄りだ通常の航法に戻せ」
※ハイジャック対策リモートコントロール技術開発中で民間航空化する前の123便がターゲットに ゆっくり山岳地帯にコースを逸脱させられる。
18:18:33「日本航空123便、現在位置からSEAPERCH迄の直航を許可します」。「現在位置からSEAPERCH迄の直航」。
犠牲者小川哲氏が機内から撮影した何枚かの写真には、朝日新聞1990年10月14日朝刊掲載三浦半島が手前に有ります。奥に富士山が有り相模湾の上空に入りつつ有ります。デジタル処理して拡大したところオレンジ色で円錐形で翼を持つ物体であった。
初期ボイスレコーダーには
「ライトターン」「ライトターン」「…しました」
となっていた。
音声公開された18:24:48の音声を聴いてみると
「オレンジの…」である。
時間帯を前後して、差し替えられて居り改竄されてます。
18:20:51「日本航空123便、あ、日航東京本社」。18:20:55「123便、日航東京本社、続けて下さい」。18:20:58「日航航空123便、12(12000ft)から落ちて居ます。