草の笛
過去ログ5
2004/5/16 0:04
▼さくRe:すゞさん
Re:お邪魔します〜。いらっさーい。すずさん。挨拶のみではアカンのよ。わかっちょるね?ジロ?(?_?)
2004/5/16(日)0:04
▼すゞお邪魔します〜。まずはご挨拶。。。
乱入しに参りましたー。よろしくです。
2004/5/15(土)23:56
▼sakutaroRe:sakutaroさん
Re:非在の司祭ふむ。ケイタイから見ると列はそろってるな。PC表示と同じにして欲しいな。ムリなんかな?
2004/5/15(土)5:46
▼sakutaro非在の司祭いつまでたっても司祭の現れぬ間にミサは淡々と進行し、司祭など不要のように思われた。信徒たちに予測され、その為にリハーサルなど有ったはずは無いのだ。
それは充分に予測不可能で、偶然性の高いものであったから。
信徒たちには、その後の予定が有ったし、又、その信仰に揺るぎが無かったから。
ミサの作法は朧気に覚えており、また、
基督の言葉を充知していたから。
薔薇窓はキラキラと意味深い光りを投げ
かけ、木製のオルガンは、かつて無いほど荘厳に響いた。(それは外部に洩れぬように配慮されていた。)
ミサはほぼ完璧に終わり、今度は司祭の
意味について討論がなされた。
弥五郎は言った。「もう、赤毛の司祭などいらねえと思うだ」、「おらたちでも充分だ」と十兵衛も続けた。長老の信徒たちも
「もう、紅毛人にだまされねえぞ」と口々に言うのであった。かくして、以後は、
日本人たちだけでミサは行われ続けた。
が、或る青年は当初から気付いていたのだが、司祭の、意味は不明ながらラテン語の呪いのような言葉の響き、紅潮した頬、、碧い眼、鋤や鍬など握った事の無かろうと
思われる白き手の不在を。青年は棄教し、消息を断った。
風の噂では、禁制物の貿易で巨万の富を得ているとも、罪を得て、小伝馬町の牢屋で生息しているとも言われた。村人たちは、その事に関心を示さず、ミサはおもむろに土着的な宗教と加して行った。
明治の初めにプチジャン神父に発見せられるまで、それは続いた。
プチジャンは、そういう青年の存在した事を知る由も無かった。
その青年も、また、非在の人であった、
と言えるのかも知れ無い。
見たことも無い色彩の蝶々のように。
聞いた事も無い鈴の音のように。
2004/5/15(土)5:17
▼sakutaroアパートの時計私は、午後9時きっかりに彼女の部屋を訪ねるのを日常とした。
アパートと言っても昭和初期に建築されたものらしく木材なども良いものが使われて
居り、煉瓦を基調とした洒落れたものであった。玄関はフロントのようになっていて
アパートの所有者である上品な老婦人が
いつも、眼鏡をはずして挨拶してくれるのである。ロシア文学が趣味であるらしく
キリル文字の本を読んでいた。
私は、ロシア語は読め無いけれど、ツルゲーネフやチェホフ、プーシキン、などの人名を解読することくらいは出来た。
玄関の上に時代ものの時計が架かっており
たいてい、午前0時を指していた。
彼女の部屋の時計も、0時である。
ここで年を越した時なぞ、一斉に、部屋
の住人が喚声をあげるので、わたしの腕時計なぞは困ってしまうのであった。
普段は、3時間ほど居て、別れのキスをする。従って、私は最終の電車に乗る事が
出来た。駅の時計は午前0時10分なのである。わたくしの腕時計も、、
日常的に、このアパートの時間は3時間、先取されているのであった。
いつも不思議な幻覚を感じた。彼女はアパートの外に出る事が無いらしく、私の土産で食べていた。その頃、外国為替に熟知していたらニューヨークの相場で大儲け出来たのであったが。
たった3時間であっても時間を先取りする
事は、その後の私の人生に「罪と罰」を与えた。老婦人の読んでいた本の中には、
ドストエフスキーは無かったように思うのだが。私の書棚には有った。
罪を自覚した者だけが罰を受ける。あのアパートには罪の意識は無く今も存在しているのを先日、確認した。
2004/5/1(土)9:37