草の笛

過去ログ6 2004/6/18 4:49

▼sakutaro
ハンガリアン・ダンス
私はプラハで歓楽的な日々を過ごし、日本に帰って来た。地球で一番、「その日」が来るのは東京では無くシドニーであるのだが、「昨日」がもう一度、日本で楽しめる。東欧娘の瞳は碧く、蜜月の日々が続
く。飛行機という危険な密室が怖く無い人々は奴隷商人のように儲ける。
アルチュール・ランボーの体験は学ばねばならぬ。
しかし、それよりも、甘美な君のキスが、そういう勉強の時間を与え無い。
富の最大な者は富を奪われ、学者は牢獄へ。飛んだ吉田松陰の首は日本を帝国主義の国とした。今こそ鎖国がふさわしいのだが、先端的な日本はもう、ヴァーチャルな国の一地域でしか無い。ああ、気付くのが遅かったね。日付的に東京は世界の先兵。もう、ノアの箱舟に乗っても仕方が無いね。ヒロシマ、ナガサキ、トーキョー、オオサカの焼け野原を見る事は時間的に無理であったが、神戸の大地震の後の焼野が原を私は見た。多少の役には立つだろうと思う。日付変更線上の危険な仮面舞踏会が始まった以上はね。せめて、美しい一夜を。
2004/6/18(金)4:49

▼sakutaro
Re:すゞさん
Re:非在の司祭
> さくさんの最近の詩は、時間や運命に対して個人の営為が如何に虚しいものかという諦念が漂っている気がするね。

うん、そうだね。9.11の事件が私を変えた。もちろん、その後のアフガンやイランの戦争。それに対する日本政府及び日本国民の意識についてもだ。2作品ともレトロな設定(わたし好みでは有る)だが、
日本と外国の意識的対比がされている。
「アパートの時計」も、そう、救いの有る詩では無いんよ。現実の戦争は必ず、歴史的な事象として残るだろう。(わたしは反戦主義さえも否定する)。自分が非在なのだな。。モデルは私と言えるだろう。
>非在を知らぬまま生きる側になるのかは分からないけど、人の世には必ずこういう悲しみと言うか残酷なネグレクトが存在する<これは卓抜な指摘だね。本来、人は罪深いものだ。過去詩にも「森の風景」というのが有る。基本的パターンは、そう、変わっていないのかも知れないね。
>この青年のようでありたいと思う。それは、たとえ無意識にうちに忘却されている非在であるとしても、積極的に存在を損なう側ではありたくないということかも知れない。元々失われているものを発見するのは容易なことじゃないけども、私たちは常にこの青年のことを想うべきだ。<
そうだね。
風立ちぬ、いざ生きめやも(ポール・ヴァレリー。堀口大学訳だったか?)
そういう心境かな?(まあ、ここらは詳述
すると長文になるな。)
感謝に堪えぬ。(^_^)v
2004/5/16(日)1:03

▼さく
Re:すゞさん
Re:お邪魔します〜。
いいさ(^^ゞ。ありがとうね。
2004/5/16(日)0:24

▼すゞ
Re:さくさん
Re:お邪魔します〜。
ということで、拙い感想代わりのご挨拶を。

でも、ここの静謐をこんなふうに乱して良いの?(^^;
2004/5/16(日)0:20

▼すゞ
Re:sakutaroさん
Re:非在の司祭
さくさんの最近の詩は、時間や運命に対して個人の営為が如何に虚しいものかという諦念が漂っている気がするね。実は下の「アパートの時計」を読んだとき、ちょっと唸って考え込んでしまってそのままレスするの忘れてしまったのだけど。あちらはまだ、それでも生きている主体があったけれど、こちらはもう語り手は傍観者であって、全ては歴史的な事象として流されてしまった。自分が非在の側になるのか、非在を知らぬまま生きる側になるのかは分からないけど、人の世には必ずこういう悲しみと言うか残酷なネグレクトが存在する、そういう罪深さのようなものに胸が痛むよ。一方で、出来るならこの青年のようでありたいと思う。それは、たとえ無意識にうちに忘却されている非在であるとしても、積極的に存在を損なう側ではありたくないということかも知れない。元々失われているものを発見するのは容易なことじゃないけども、私たちは常にこの青年のことを想うべきだ。
2004/5/16(日)0:19

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